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「弱さ」を認め合う空間には優しさで溢れかえる空間になる

「弱さってどう見せたらいいのだろうか」

私が社会人になってからずっと抱えているテーマの一つである。

色々な場面でそれぞれの私がいて、その時々で気を遣ったり少しお姉さんになったり、がはは…と心置きなく笑ったり。
何となく「この時にはこんな私」というのが都度存在する。
でも、ふとした時に現れる、色々考えてしまう心配性・不安な私。
それをどこに吐き出したらいいのか、どのように吐き出したらいいのかはまだ掴めてない。弱いことが悪な気もしていた最近。

新年早々、よわいひらやまさんとお話しできる機会にお誘いいただき参加。

幅広い観点で気づきがあったので羅列になるが記しておこうと思う。

色々な面から「私」は構成されることを把握すること

中心には私らしさを示すグラデーションもあるが、光のあたりが違うだけ。
仕事・プライベートそれぞれでたくさんのことを感じ、思う。
別に弱い部分を持っていることは悪ではなく、その人の一面にしかすぎないし、それがある意味の個性でもある。
「今はどこにスポットライトが当たっているか」を自分で把握し、少しでも周りに伝えることでさらにその人らしさが見えてくる。
生きていると色々なことがあって、気分の上がり下がりもあるけれど、丁寧にその気持ちに従ってみるといいのだと。

「私」を認めること、受け入れること

現実に対して「もっとより良くしていきたい」と思ってしまう私。
つまりは終わりはないし、時に方向が変わることもある。
そして理想はあくまでも理想であって、より高みを目指してしまうが故に自分でどんどんハードルを高めていた。
今回、同じようなことをお話される方もいて、私だけではないのだと認識をしたのだけど、私の場合、コーチングを受けて「ちゃんと頑張っていたじゃないですか」と言っていただけて、毎日の生きた証をより肯定でき、日々の活力にできるようになったことと重なった。
とはいっても、何かきっかけがないと忘れてしまうこの言葉、やはり人の意識を変えることは難しい。
もっと自分の中に染み込ませる必要があることも実感した。

「私」と違う「他の人」を無理に分かり合おうとはしない

私が悩みを抱えることも他の人とのコミュニケーションがほとんどだ。
他人は他人。それは家族でも同じ。
分かり合えないことは大前提にあって、それを踏まえてどう過ごしていくのか。
これまでの私は東北に行って価値観が変わったことで、理想もまたガラリと変わっていた現実であるが、「分かってもらいたいけれど分かってもらえない」というところで止まっていた。
けれどそれもエゴでしかなく「分かり合えないことを互いに認識しておくことができればそれでいいのだ」と納得できた。

SNSの世界に縛られない「私」でいること

SNSをみるとたくさんの人の発言や行動が見えてくる。
つい他人と比較をしてしまう。
「偉そうなこと言って、なんとなく自立してそうだけれども、比べているなぁ…私…」とふと、客観視している私もいる。
表面化するようになったからこそ、生きにくい部分はあるがあくまでもこれもある社会の一面でしかない。
全てではないからこそ、こんな人もいるのだと捉えられればそれまでだ。

私の人生を生きるのは「私」

途中「人生の底から跳ね上がった経験はどんなものか?」とそれぞれ共有することになった。正直私はパッと浮かぶものが出てこなかった。
思い通りにならなかったこと、想定外の出来事も多いけれど、その時は今の私はここまでだとか、現実はこうだと心の中で言い聞かせていた。
その後も何だかんだで楽しかったし、恵まれているなぁ…と感謝の気持ちでいっぱいになり、ある意味運命だったのだと思えるからだ。

一方で周りの人は家族からの一言や旅行、人と会うことなどがきっかけとなり、ある場所から跳ね上がって次のステップに進んでいた。
言われてみると、確かに私もそう。
でも、結局人生で大きな出来事と捉える経験がいくつも並列しているからこそ、ここぞというものが出てこなかっただけ。
捉え方次第で、その後の人生も変わってくる。出来事全てに何か理由はあるはず…と、ポジティブな捉え方ができるように生きていきたい。

運命だったのかもしれない、このイベントと「私」

実はここ最近の私は非常に弱っている。
ちょうどこのイベント当日の午前中、少し受け入れがたい出来事があり、悲しみを超えて衝撃が走った。
お昼の予定をキャンセルしてもらい、気持ちを落ち着かせてこのイベントの扉を開けた。

一週間経った今でも、この事実と向き合う・認めることに必死になって生きている私がいるし、ようやくこうやってアウトプットができるようにまでなってきた。(少し遅れてのレポートになってしまい、ごめんなさい…!)

本当にたくさんの人に支えてもらって、何とか生きている。
とか書いているとまた涙が止まらなくなるので、今回はこの辺で終わろうと思うが、今生きていることって奇跡的であることには間違いなく、弱い私がいてもいいし、それも私なのだとさらに強く認められるようになった。
そんな中で、生きたいように生きようという気持ちも今さらに強くなっている。

個人的にはすごいタイミングであったイベント。
私は話をする元気もなかったのが正直なところであったが、それも受け入れてくださったこの空間は非常に優しかったし、これこそ弱さを認め合う空間であっという間の2時間だった。
これも全て運命だったのだな…と企画してくださったあんどぅ〜さんkazuさんよわいひらやまさんに感謝しつつ、たまたまのご縁で一緒になったみなさんにも感謝したい。

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