「私のキャリアに対する思い」

最近考える。なぜ人はそんなにも必死に働くのか。小さい頃は、将来の夢は?と聞かれて、ケーキ屋さん、サッカー選手、お医者さん、宇宙飛行士、など、自分のやりたいことをやれる職業や、格好いい、といったその職業の持つイメージからの憧れで、華やかな、そしてワクワクする夢を描いたはずだ。しかし、現実はどうか。本当に、趣味として、“やりたい事”ができる職に就く人なんて少ないはずだ。

朝起き、スーツに身を包み、満員電車で押しつぶされながら職場に行く。職場での大半は、パソコンに向かって作業する。夜は付き合いのために、遅くまで飲み会。そして家族が寝ている中帰宅。土日は疲れてずっと寝ていたり、出勤したりすることも。これは、私の父の働き方だ。父は真面目に働き、給料もよく、本当によく働き、私たちを養ってくれていると思う。感謝してもしきれない。しかし、私はよく、「こんな生き方をして、何が楽しいのだろうか」と思ってしまう。もちろん、この世の中、きれいな職だけで成り立っているのではない。やりたくないことも誰かがやらないとまわっていかない。「仕事が生きがい」のようになるだけでなく、仕事をし、報酬を得、それで、人生をより幸せにしていく生き方もあろう。しかし、私の家族は、ここ数年、家族みんなで旅行に行ったり、遊んだりすることがほとんどなかった。父は本当に日々を、仕事に支配されている。仕事をしていて幸せそうな姿を見たことがない。

父のように、ただただ仕事のためだけに生きているようになってしまっている人も少なからずいるはずだ。

父のような働き方が、当たり前だと思っていた。しかし、最近、様々な“生き方”“働き方”をする人に出会う機会が多くなり、世界観が変わった。

キャリア、職、働き方、を軸に考えるのではく、私はいったい、どう生きたいのか、どのような生活をしたいのか、をはじめに問いたい。目指す生き方をするための要素としての、そういう位置づけの、“キャリア”でありたいと、今は考えている。やりたいことがあり、それがキャリアと一致するなら、それをすればよい。やりたいことがあり、それをするにはお金が必要だから、そのお金を稼ぐ手段として、働けばよい。今、私の考える、「キャリア」とは、幸せな、満足した人生を送っていくための、1つの手段、道具なのである。

※授業レポートで書いた内容。今の考えを久しぶりに言語化して少しまとめれたと思うから記録用に

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