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親指を立てれば、そこに青春があった。

小・中学生の頃、誰とどんな遊びをしていただろうか。
今、同じメンバーで同じ遊びをして、あの頃のように楽しめるだろうか。
この記事をたまたま読んでくださっている読者に考えて欲しい。



自分は何をして青春を過ごしたのか。
振り返ることできっとそれは自分を見つめ直すきっかけとなるから。



これは、とあるタクシーの中で行われた「指スマ」の激戦録。

齢26のいい年した酔っ払いが、齢26のいい年した酔っ払いと指スマ。
友達の家に着いてから「どちらがどちらのグラスにお酒を注ぐか」を賭けた(この時点でいかに僕たちが酔っていたかがわかるだろう)、一世一代の勝負。たかが指スマと言えど侮ってはいけない。僕たちは真剣だったのだ。そう、あの授業合間の休み時間のように。

序章

2月某日。場所は京都、伏見桃山。僕は友達5人と「鳥せい」にいた。

※鳥せい:伏見桃山に本店を構える、焼き鳥屋の名店。連日多くの人が訪れ、予約をとるのも一苦労。酒処・伏見だけあって、美味しい日本酒を堪能できる。個人的に好きなメニューは「皮のバラ焼き」「蔵出し日本酒」。

2回目の来店。次々と運ばれてくる料理に舌鼓が止まらない。そして日本酒も止まらない。メンバー全員、酒豪により、次々と開けられる日本酒のグラス。気分は「夜は短し歩けよ乙女」。それぞれが、それぞれの李白と対決しているかのようだった。

一旦座席図を確認しておく。相関図までは記載しないが、とにかく全員仲がいい。

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第一章:指スマはディナーの後で

夜も深まり、飲み会はお開きとなった。皆で同じ電車に乗って、ケタケタと笑いながら帰る。なぜか駅のホームで記念撮影もした。なかなかシャッター音が聞こえないので、ちゃんと撮ってる?と確認したところ、間違えて動画を回していたそうで。メンバー全員で「いや、動画かい!」とツッコミを入れる。さすが関西。関西のお笑いが駅のホームに集結していた。

そして、そのうち2人(B、C)が別の電車に乗り換えた。Bの家で二次会だそうだ。名前は座席図Aを参照。

残った僕たちは、またケタケタと笑いながら電車に乗る。終電間際によく見るサラリーマン御一行とほぼ変わらない。ふと誰かが呟いた。

「Bの家に行って、飲み直すのもアリかも」

こうなってしまっては止まらない。サザエさんのエンディングかのように、タクシーに飛び乗った男女4人組。意気揚々と目的地を伝え、ケタケタと笑いながら、どうでもいい会話を楽しんでいた。

ここで座席図を確認しておこう。タクシーの中での座席図。名前は座席図Aと対応している。

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目的地まで約1時間。酔っ払いの会話なんて取り止めもないことが多い。だからこそ、ほとんど覚えていない。唯一覚えているのが、Bの家がとてつもなく大きいということ。

だが、その時は唐突に訪れた。


友人A「指スマしようぜ」


ここで指スマについて説明する。
①参加者は両拳を合わせ、最初に掛け声をかける人を決める。
②掛け声(※1)と共に上がる指の数(※2)を予想する。
③全体で指の数を数え、予想の数と指の数が一致したら、掛け声をかけた人は片方の拳を引っ込める。
④次の人が掛け声をかける。
⑤両方の拳が引っ込められたら(二回予想が的中したら)、勝ち。

※1 掛け声:地域差があるらしく「いっせーのーせ」「指スマ」が主流らしい。少数派は「ちーばり」、「いちにーの」など。ちなみに僕の地元は「いっせーのーせ」派。タクシー内では「指スマ」が採用された。

※2 指の数:最小値は0、最大値は参加者×2まで指定できる。例えば、参加者が3人の場合は最大6。


指スマをするなんて何年ぶりだろうか。男同士の大一番。掛け声を決め、負けた場合の罰ゲームも考えた。負けた方が勝った方にお酌をするだけ。後腐れなし。

友人が動画を撮ってくれていたので動画を見つつ、ここから戦況を事細かに記載する。次の見出しまでに書かれることは掛け声と実際の指の数だけ。至極つまらないだろうが、読者の皆さんとは此処で会ったが100年目。せっかくなので、この激戦録にお付き合いいただきたい。

それでは始まり始まり〜。



勝負はすぐに始まった。

友人A「指スマ、0!」
僕「指スマ、2!」

酔った状態でも指スマが始まれば、ゲームと言えど真剣そのもの。序盤から両者譲らぬ展開。


友人「指スマ、2…」

さらりと受け流すかのように友人が両方の親指をあげて言った。僕は反応できず。ニヤリと笑いつつ、友人は片方の拳を引っ込めた。


僕「指スマ、2!」

僕は両親指をあげ、友人は0。やられたらやり返す、斬られたら斬り返す。それが武士道の世界ってものだ。情け無用。

ここで現在の戦況を確認してみよう(確認するまでもないが)。
両者の拳、1つずつ。片方が数字を当てればその人が勝ち。敗者は泣く泣く勝者にお酌しなければならない。


友人「……指スマ、1」

両者指をあげる。友人の口から「くっ…!」と声が漏れる。読者にはわからないだろう、この白熱ぶりが。まるでお互いの家族を人質にとられたかのようにこちらは真剣なのだ。負けられない戦いがここにある。

第二章:湯を沸かすほどの熱い青春

思い返せば「指スマ」が地元で大流行したのは僕が小学生・中学生の頃だった。休み時間になると近くの友達とよく指スマをしていた。

負けても何もなし。勝者はみんなから讃えられ、敗者は咎められない。ただただ親指をあげて一喜一憂する。何気ない遊びでも僕の青春を彩ってくれた。

あの頃の自分は他人と異なることをするのが好きだった。みんなが外でサッカーをしに行けば、あえて図書室で本を読む。みんながORANGE RANGEにハマれば、あえてDJ OZMAを聴き込む。みんながドランゴンクエストに没頭している中、ファイナルファンタジーXをやり込む。今の思考パターン・行動はこの頃から養われていたのだなと思う。


いつからだろうか、気づいた頃には誰も指スマをしなくなっていた。

周りの友達は、「あの子があの子のことを好きらしい」とか「あの子のここが嫌なんだよね」という思春期真っ盛りの話題や勉強の話、テレビの話で盛り上がっていた。高校生になるとクラス内でのグループ化が顕著になり、同じ部活のグループ、サブカルグループなどそれぞれがグループの中で話すことで盛り上がっていた。もちろん1人でいる人もいた。

歳を重ねるにつれ、誰と何で遊んだかというより、誰とどういった時間を過ごしたかで青春の一ページが左右されるようになったと思う。指スマで盛り上がっていたのが遠い過去であるかのように誰も遊ばなくなった。これが大人になるということなのか。


公園に行くと、子供たちがブランコやすべり台で楽しそうに遊んでいる姿をよく目にする。また、追いかけっこをして遊ぶ子もいる。ブランコなんてただ行ったり来たりするだけ。勝ち負けもなく、目的もなくただその遊具で遊ぶ。なのに子供たちはすごく楽しそうだ。単純な遊びでも小さい頃はなんでも楽しかった。

大人になるにつれ、公園で遊ぶということは少なくなった。少なくとも指スマはしないだろう。休日に友人と集まってカフェで指スマをするという人はそうそういない。ゲームやカラオケ、ボーリングなどお金をかけて遊ぶようになったのだ。せっかくみんな集まったのだから遊ぶ時間を無駄にしては行けない。より効率的により楽しく。遊びに求めるものは徐々に変わっていった気がする。

これが大人になるということ。小さい頃の遊びをだんだんとしなくなり、より楽しさ・刺激を求めてスマホゲームに没頭したり、カラオケにいったりするようになった。刺激が足りないのだ、指スマでは。


だが、一度、指スマをして欲しい。指スマでなくとも鬼ごっこや警どろをやってみてほしい。青春なんてその一手間ですぐ振り返ることができる。あの頃はどうゆうことに没頭していたのか、どうゆうことに楽しさを見出していたのか。この一手間で過去の自分を振り返るきっかけとなり、今の自分を過去の自分から見つめることができる。メリット尽くしだ。

改めて、読者の皆さんに問いたい。

どんな遊びをしていましたか?


第三章:親指を立てれば青春があった

忘れていないだろうか。読者が青春の思い出に浸っているところ、タクシー内では依然として激闘が繰り広げられている。

戦況はお互い1つずつの拳。

僕のターン。思わず「はぁ…はぁ……」と声が漏れる。サッカーで言うところのロスタイム。僕は日本を背負っているつもりだった。いや、日本を背負っていた。指スマ日本代表。下手なミスで負けてはファンを悲しませることになってしまう。


僕「指スマ…」

静寂。周りが息を飲む。タクシーの運転手も土砂降りの雨の中、ハンドルを握りつつもこちらの勝負が気になっていたはずだ。「どの数を言おうか」とフル回転で脳を動かす。実際はほんのコンマ何秒の世界だろうが、僕の中では数時間に感じられた。



「0」



地平線が目の前に広がっていた。

勝ったのだ。長きにわたり続いてきた、この戦いにようやく終止符が打たれたのだ。

気づけばみんな大笑いしていた。教室の中で大笑いしていた。

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