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冷奴とセラヴィ

冷奴がない。

きれいに食べ終わったお皿を目の前にして、ふと思った。

820円。日替わり定食だ。
カツとじ、ごはん、みそ汁、つけ物。
食べ終わったときにメニューを見てみると、横に小さく「冷奴付き」という文字。

そういえば、冷奴なかったな。


全部食べ終わっているのに冷奴だけ注文するのもな…。最初に言ってよって思われるんだろうな…。というかお昼時で店員さんも忙しそうだし、冷奴ぐらい我慢してよとか思われるんだろうな…。いや、でも820円って少し高くないか?まずくはなかったけど、おいしいってわけでもなかったし。むしろちょっと塩辛かったし。冷奴がついているからその値段設定なのか?そういえば隣の人が「冷奴きてないですけど」って言ってたけど、その冷奴のことだったのか。

いろんな思いが浮かんでくる。


そして、ある同僚のことをふと思い出した。

彼とは帰り道が一緒だったので、同期の中で一番仲がよかった。よく飲みに行ったし、カラオケにも行った。歌う曲は70年代アイドルの曲ばかりだった。彼は東京配属となったのでしばらく会っていない。元気にしているのだろうか。

彼はロマンチストというかキザというか、なんとも興味深い人だった。

大阪で大きな地震があったときのことだ。
26年にも及ぶ自分の人生の中で一番大きい地震。その日は会社も休みになり、いろいろな人に心配されたのを覚えている。休みと分かってすぐ、いつもの居酒屋にかけ込み、常連同士でニュースを見ながら「へー、すごいねー」と他人事のようにお酒を飲んだもんだ。

翌日、出社して彼に「地震凄かったね。家は大丈夫だった?」と聞く。


「……なんか地球って宇宙船なんだなって思ったよ…」

宇宙船地球号ってか?感性が豊かすぎて何も言えない。
「あー、確かに」と適当に返しておいた。


彼の好きなタイプを聞いたとき。
飲みの席ではよくある話題。可愛い系よりきれい系、髪は短め、気配り上手。答え方は人それぞれにしろ、正解はないし、もちろん否定するつもりはない。ちなみに僕は言葉遣いがきれいな人が好みだ。え、そんなの聞いていないって?

彼はポツリとつぶやく。


「"海"という言葉を聞いて同じ海を想像できる子」

もはや詩人。こんなことを真顔で言うから誰も笑えない。個人的には海と言ったら美ら海(ちゅらうみ)一択だ。

まあ、こんな感じで彼はとても不思議な感性の持ち主なのだ。
そんな彼はいつも「セラヴィ」と口にする。

C'est la vie

フランス語の慣用句らしく、意味は「それが人生さ」という感じ。

彼はことあるごとにセラヴィと言う。

ライターの火がつかなくても、セラヴィ。
満員電車で自慢の革靴を踏まれても、セラヴィ。
お店に傘を忘れてきても、セラヴィ。

「フフッ」と鼻で軽く笑いながら、遠くを見つめる。まるでローランド様のように。彼はどんな思いで目の前の"不幸"を見つめているのだろうか。

そんな彼と一緒に過ごしていたからか、人生がとても楽になったと思う。今までは「なんで僕だけこんな目にあうねん…」とネガティブに考えることが多かった。けれども、彼と出会ってから「セラヴィ」の一言で何か開放された気分になり、次への一歩がとても軽くなった気がする。言霊なのだろうか。不幸なんてその人の受け取り方で変わるのかなと思う。

そういえば、お笑い芸人のカズレーザーさんがある番組で言っていた。

「人間はどうせ幸せになるに決まっている。でも、理由を見つけて自分が不幸だと思おうとしている。だからこそ、不幸から目をそらす努力をすればずっと幸せだ。」

言葉は多少違うが、このようなことを言っていた。同期も同期なりに不幸から目をそらすために、自分が幸せであり続けるために「セラヴィ」と言い続けているのだろう。


セラヴィ。

そう一言、心の中でつぶやく。
結局、冷奴がなかったことを店員さんに言わずにお会計を済ませ、店を出た。

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