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パパイヤミルクとエクスタシー

旅の途中のある瞬間に、神秘的で、強い多幸感に包まれるような感覚に包まれた経験が、過去に2、3回ほどある。僕はその不思議な感覚を「旅のエクスタシー」と名付けている。

それを初めて体験したのは、僕が20歳の大学生だった2005年の冬。一人で台湾一周の旅に出たときのことだった。

旅行の3日目。僕は東部の海岸沿いのまち、花蓮を訪れた。鉄道駅を出てから、まずは海辺を目指して歩いた。

30分ほど歩くと、ほとんど人のいない海辺に出た。砂浜にあるのは犬の足跡だけだった。海辺沿いの道では、おばあさんがルーロー飯を売っている移動式の屋台があったので、ルーロー飯と、魚のツミレのスープを頼んで食べた。「うまいね」とおばあさんに言うと、「田舎のものはなんでもうまいんだよ」と返してくれた。こうした、現地の人との何気ない会話は旅の醍醐味の一つだ。

腹が膨れた後は、泊まる場所を探しに歩いた。僕は事前に宿を予約しない、行き当たりばったりの旅をしていた。

日本統治時代に建てられた木造家屋が所々に残る、静かな通りを歩いていると、「日本人か」と、日本語で声をかけられた。声の主は、建物の入り口に立ったおばあさんだった。建物は、「なんとか大旅社」といった感じの名前の宿だった。声をかけられたのも何かの縁だと思い、僕はそこに泊まることにした。

宿のオーナー夫婦と思われるおばあさんとおじいさんは、戦前生まれの日本語世代だった。2人ともとても親切で、おばあさんが「ランゴ(ダンゴ)だよ」と言って、「湯円」という甘い団子のスープをご馳走してくれた。

僕は部屋に荷物を置いた後、もう少し歩きたいと思い、宿を出て再び海辺の近くを散歩した。海辺の市場でドリンクスタンドを見つけたので、パパイヤミルクを買って宿へ帰った。再び宿に着いたとき、すでに夕方だった。

僕はベッドに腰掛け、パパイヤミルクを飲んだ。

僕が、「旅のエクスタシー」に包まれたのはこの瞬間だった。

このとき僕は、なにか広大な景色を目にしていたわけではない。汗をかくような運動をしたわけでもない。酒を飲んで酔っ払っていたわけでもない。ただ、ベッドに腰掛け、プラスチックのカップに入ったパパイヤミルクをストローで飲んでいるだけだった。

そのときに僕がいたのは、ベッド1台でスペースの半分以上を占めてしまうほど狭い部屋だった。しかも、白塗りのコンクリートに包まれただけの、ひどく殺風景な部屋だ。しかし、陰気な雰囲気は全くなく、窓からは西陽が差し込んで明るかった。この日はクリスマスの2日前だったが、部屋は暖房をつけなくても暖かかった。そんな空間で、僕は多幸感とも安心感とも興奮とも、得も言われぬ感覚に包まれていた。今でもうまく説明できないのだが、風邪や二日酔いから体調が回復しかけたときの数倍の心地よさだった。

そのようなことがなぜ起こったかは、よく分からない。誰もいない海辺にたどり着いたときや、田舎味のルーロー飯を食べたとき、宿の日本語世代のオーナー夫婦に親切にしてくれたとき。この日のハイライトはいくつもあったが、神秘的なエクスタシーは、なぜかパパイヤミルクが引き金になった。

冒頭にも書いたが、あれから20年近くが経つ今まで、同じような感覚を得た体験は2、3回程度しかない。

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