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子育てへのアドバイスは、取捨選択していい

2か月ほど前、こんなツイートをした。

呟いたのは、このママ友から電話がかかってきた直後だった。LINEだけのやり取りで済ませたい内容でも、彼女はよく電話をかけてくる。私は出ない。出られないのだ。動悸がしてきて、背中を嫌な汗が伝う。いつも残る不在着信の表示に罪悪感を感じないわけではないが、どうしても心が彼女との対話を拒否している。


私の長男は、此処でも何度も書いているように破天荒だった。今でもその性質は持ち合わせているが、その有り余るエネルギーの全てをバスケットに注ぎ込んでいることで、昔に比べると随分落ち着いたように思う。


0歳の頃に遡る。

とにかく寝なかった。毎日毎日、朝も夜もなく1時間おきに泣き続けた。抱いて揺れてあやして寝かせる。泣く。授乳して寝かせる。泣く。オムツを変えて再び授乳。泣く。きっかり60分で。長くても1時間半。エンドレスである。しかも長いと30分でも40分でも泣き続ける。

妊娠中の重症悪阻で体重が10キロ以上も減った身体に、休む間もなく訪れるハードモード全開の育児。そういうとき、近くにいるママ友の存在は大きい。良くも悪くも、大きい。


*以下、ママ友からもらったアドバイスを引用文形式にて表記する。

「えー!それ絶対おかしいよ!病院行った方がいいよ!!」

そう言われるとそんな気がしてくる。不安になってくる。確かにあまりに泣き過ぎだし、寝なさ過ぎだ。

私は慌てて翌日病院に連れて行った。結果、至って健康体だった。「個人差がありますからね」と優しく諭され、ホッと胸を撫で下ろして病院を後にした。

「母乳足りてないんじゃない?ミルク足せば?お腹すいて寝れないなら可哀想だよ!うちの子なんか、夜は5時間くらい続けて寝るよ?」

病院でも検診でも体重は順調に増えていて問題ない、と言われている。それでも足りてないなんてことがあるのかな……。

モヤモヤしながらもミルクを少しあげてみる。息子、大泣きで全力拒否。完全母乳で育っていた息子は、人工の乳首を一切受け付けなかった。

拒否が強くて飲んでもらえないこと、体重は増えているからこのまま母乳で育てたいことを伝えると、呆れたようにこう言われた。

「泣いて嫌がっても諦めずに続けてみたらいいのに。泣くからって引き下がってたら、全部子どもの思い通りにさせられるよ?」


今なら言える。今これを言われたら、きっと面と向かって言える。

「うちにはうちのやり方があるから」

だって、どう考えてもおかしい。言っている内容も論点もおかしい。“思い通りにさせられる”って、何だそりゃ。むしろ人を思い通りにしたいのはあなたの方ではないか。


その後も彼女からのありがたい(全然ありがたくない)アドバイスは続く。

じっと座っていられない長男。いつも落ち着きなく動きまわり、外食なんてストレスでしかなかった。“今はしょうがない”と諦めて、外食ではなくおにぎりやお弁当を持って広い公園や海に出掛けたりしていた。その方が無駄に怒らなくて済む。息子ものびのび楽しそうにしている。それで良いと思っていた。だから、彼女からの外食の誘いは断っていた。

「小さいうちからマナー身に付けておかないと困るの長男くんだよ?それに、外食したくならない?子どもが落ち着くまで外食我慢するなんて、私には絶対無理!!叩いてでも座らせておかなきゃダメだよ!」

マナーが大切なのは分かっている。でもどんなに教えても、どんなに厳しく怒っても、すぐに出来るようになる子とそうじゃない子がいる。

1時間大人しく席に座ってもくもくと食べ続ける娘さんを持つその人には、長男のことも私の考えも理解出来ないようだった。そして私は、今思えば本当に大馬鹿者で後悔しかないのだけど、その人のアドバイスを受け入れようと努力していた。

何か違う。こんなの変だ。私はこんなことで怒りたくない。自由にさせてやりたい。もっとのびのび育てたい。

そう思う心に蓋をして、その人の助言を片っ端から試した。結果、息子の夜泣きは増え、情緒は益々不安定になっていった。私の不安定さもそこに比例した。毎日のように、息子と一緒に泣いていた。


私は、子育てが苦しかった。


楽しめない。苦しい。どうしたらいいか分からない。助けを求める相手もなく、ただただ途方に暮れていた。そんなとき、一人の友人に出会った。

その友人は、息子より一つ年下の娘さんを持つお母さんだった。近所だったこともあり、公園に一緒に出掛けることになった。驚いた。その女の子は、うちの長男に負けず劣らずの活発さを持っていた。絡まる野生の蔦をよじ登る息子の動きを見て、その友人は言った。

「すごいねぇ。そんなことも出来るなんて、本当にすごいよ。将来、体操選手になれそうだね。かっこいい!!」

感嘆した表情で、弾んだ声で、息子を褒めてくれた。呆れたような顔でも、またか、という声でもなく。

「うちの子も体力があって動きたくて仕方ない子だから、付いて歩くの大変で…。外食なんて無理だし、家の食事もままならないことばっかりで。でもこうして一緒に身体動かして遊んでくれるお友だちがいてくれたら、本当に心強いし嬉しいよ」


否定をされない。そのままの息子を受け入れてもらえる。そのことに安堵した私は、ぼろぼろと涙を溢して泣いた。友人はその瞬間こそびっくりしていたものの、何を説明しなくとも気持ちを汲み取ってくれて、一緒に泣いてくれた。後に言われた。「同じだった」と。私と息子に対して、「ようやく会えた」と感じた、と。


この世に一人として同じ人間なんていない。子どもも大人も、みんな個性がある。運動が出来る子が偉いわけではないのと同じように、長く座っていられる子が偉いわけではなかった。親の言うことを何でも聞く子が偉いわけでも、よく眠る子が偉いわけでもなかった。大変で手の掛かる子がだめだなんてこと、絶対になかった。

大変だった。必死だった。楽しむ余裕なんて欠片もなかった。おんぶが嫌いで引きつけを起こすまで泣いて拒否する息子。そんな彼を片手抱っこしながら家事をこなし、腱鞘炎にもぎっくり腰にもなった。誰の助けを得られるわけでもなく、たった一人で昼も夜もゆらゆら揺れながら痛みに耐えて抱き続けた。それでも、他者に息子を否定されることは、私にとって悲しいことだった。


出会えた友人と、おにぎりやミカンを持ってよく公園に出掛けた。たくさん動いた彼らは、すっきりとした表情でおにぎりを嬉しそうに頬張っていた。

「おいしーねー」

「ねー」

そう言いながら、にこにこと笑っていた。

友人親子と遊んだ帰り道、車に揺られながら眠そうな声で息子は言った。

「だいすき、っていわれるの、うれしいね。だいすき、っていわれると、だいすきになるよね」

友人の娘さんは、「だーいすき!」といつも息子に伝えてくれた。友人も、同じようにその言葉を伝えてくれていた。私たち親子が一番求めていたものは、この言葉だったのだと気付いた。


夜泣きが少しづつ減っていった。癇癪も年々落ち着いていった。スーパーでひっくり返って大泣きして「将来困った子になるよ」と言われ続けた息子は、来年6年生になる。バスケチームの副キャプテンでありコートリーダー。陸上競技の選抜選手。昨年は学年の委員長も務めた。全て誰に強制されたわけでもなく、自ら立候補して選んだ道だった。


息子は、運動が大好きで強い意志を持つ、心根の優しい男の子になった。


否定だけのものをアドバイスとは言わない。人を追い詰めるだけのものを助言とは言わない。そんなのはただの自己満足だ。もし”アドバイス”という名の心ない批判を受けることがあったら、そんなものは丸めてごみ箱に捨てていい。そんなものを飲み込んでも腹を壊すだけだ。

産後はホルモンバランスも乱れ、神経が過敏になりやすい。それだけに、普段なら気にならないことが気になったり、冷静な判断が下せないこともある。子育ての悩みは尽きない。それは今になっても変わらない。大きくなったら大きくなったなりの悩みというものがある。だからこそ、隣にいて欲しいと思える人を大切にするべきだ。自分たちの心や生活を脅かす存在に縛られる必要なんてない。


私は今、子育てが楽しい。たくさん悩んでたくさん泣いて、一番辛かったときに出会えた友人親子のおかげで辿り着いた答え。それは、”息子が愛しい”という単純な想いだった。何が出来るとか、何が得意とか、そんなのはどうでもいい。息子が笑っていてくれたら、それだけでいい。


”将来”って、何年先のことを指すのだろう。

”困った子”って、どういう子のことを言うのだろう。

そんなの誰にも決められない。だからもう、誰かにそんなバカげたことを言われても私は揺るがない。


長男も次男も、私の自慢の息子たちだ。



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