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【ふわふわの甘い幸福と、まあるい笑顔の贈り物】

 年明け早々、私の心はとっぷりと暮れた夜の只中のように落ち込んでいた。離婚と同時に、子どもたちの親権を手放すことが決まっていた。離婚そのものは望んでいたが、子どもたちとの別離は望んでいなかった。ほんの少しだって、そんなのは望んでいなかった。

 色々な要因が重なり、思い描いていた未来は呆気なく崩れた。砂糖菓子みたいにぼろぼろとこぼれていく欠片を、ただぼんやりと眺める。そんな日々を過ごしていた。

 ある日、ピコンとLINEの通知音が鳴った。とびきり笑顔のかわいい、娘のような存在の友人からだった。そこには、こう書かれていた。

「ギフトが届きました」

 添付されているURLをクリックすると、まあるいクリームパンの画像が目に飛び込んできた。ぎっしりと詰まった色とりどりの餡が、楽しげに話しかけてくる。

”おいしそうでしょ?”

 思わず頬が緩み、笑みがこぼれた。2月いっぱいまで受け取り可能と書かれた説明文を読み、この贈り物を口いっぱいに頬張るのは新居に引っ越してからにしよう、と心に決めた。離婚と共に引っ越すことが、このときすでに決まっていた。新しい土地で、新しい気持ちで、このうれしい贈り物を味わおう。ほんのりと明るい未来の楽しみができた。それは私の心を、くいっと上向きに持ち上げてくれた。


 それからほどなくして、無事に引っ越しを終えた。一人ぶんの荷物を片付けるのは、案外呆気ないものだった。新しい巣穴に辿り着いた私は、何だか妙に安心してしまって、久方ぶりにすやすやと眠った。
 翌朝、すぐに友人が送ってくれたギフトの受け取りを依頼した。二日後に届いたそれは、ひんやりと冷たかった。冷凍保存されているクリームパン六個が、箱のなかでひしめき合っている。ずっしりとした重みを手のひらに感じながら、説明書を開いた。

「自然解凍ではなく、冷蔵庫で24時間かけて解凍してからお召し上がりください」

 はやる気持ちを抑え、六種類の餡のなかから一つを選び、冷蔵庫へそっとしまった。
 明日の朝ご飯にいただこう。おいしい珈琲を淹れて、丁寧に味わおう。わくわくしながら布団に入り、友人にお礼の連絡を入れようと思って、やめた。食べてからにしよう。ちゃんと味わってから、それから、「ありがとう」を伝えよう。


 リビングの小窓から、お日さまの光が差し込んでいる。日当たりの良い部屋にしてよかった。そう思いながら、もそもそと布団から起き出した。寝起きでぼんやりした頭のまま、無意識にお湯を沸かす。白湯を飲みながらゆっくりと身体が目覚めていく途中で、ぽん、と唐突にまあるいフォルムが浮かんだ。

 そうだ。クリームパン!

 昨夜から楽しみにしていたクリームパンが、冷蔵庫で待っている。思い出した途端にエンジンがかかり、いそいそと朝食の用意を始めた。ウインナーとトマトを焼き、チーズをのせてバジルとオリーブオイルをふりかける。付け合わせにレタスのサラダ、そしてヨーグルト。熱々の珈琲の定位置は、お気に入りのコースター。いよいよ冷蔵庫から取り出した主役のクリームパンをお皿に載せ、テーブルの前で手を合わせた。

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「いただきます」

 柔らかな生地。そのなかにぎゅうぎゅうに詰まったカスタードクリーム。上品な口どけのクリームが、しゅわっと舌の上で踊る。ふわふわの甘い幸福が、口のなかいっぱいに広がった。

「おいしい」

 一人きりの部屋で、思わず声が漏れた。淹れたての珈琲を口に含み、それからまたクリームパンを頬張る。甘さとほんのりした苦みを交互に味わいながら、友人がギフトに添えてくれた言葉を思い出していた。

「おいしいものを食べて少しでもホッとできる時間をプレゼントしたかったので、わたしが好きなクリームパンを贈ります。
朝ごはんでもおやつでも、温かい飲み物と一緒に食べてね。大好きだよ」

 友人とは、もう一年以上会えていない。昨今流行りの感染症の影響で、遠方に住む友人たちと会えない日々が続いている。それでも、会えないなかでもこうして言葉と想いを届けてくれる人たちがいる。おいしい時間を、ホッとできる幸福な余韻を、”大好きだよ”の言葉と共に。

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 ふと思い立って、長男にLINEをした。

「友達がクリームパンを送ってきてくれたから、春休みにこっちに来たら一緒に食べようね」

 数秒で、電話がかかってきた。

「クリームパン、春休みまでに腐らないの?」
「冷凍保存できるから大丈夫だよ。色々な味があるからね。こっちに来たら一緒に何味にするか選ぼうね」

 スピーカーにしていたのだろう。隣でまだ幼い次男坊がはりきって声を上げている。

「なんのあじ?ねぇ、おかあさん、なんのあじがあるの?」
「えっとね、カスタードと、生クリームと、餡子と、抹茶と、チョコレートがあるよ」
「えー!そんなにいっぱい、きめられないよ。じゃあ、ぜんぶにして、みんなで”わけわけ”するのはどう?いいかんがえでしょ?」
「そうだね。とってもいい考えだね」

 次男坊は、たくさんのなかから一つを決めるのが苦手だ。だからいつも、「”わけわけ”しよう」と言う。そうすればみんなで、色々な味をわけっこできるでしょう?と。得意げな顔で、そう言って笑うのだ。

「俺はカスタードがいい」
 あっさりと一つを決める長男。同じお腹から出てきた二人は、面白いまでに対照的だ。まったく違う二人が、それでも声を合わせて同じことを言う。

「おれたちが行くまで、ちゃんと残しておいてね。全部食べちゃったらだめだからね!」

 どれだけお母さんを食いしん坊だと思っているのだろう。あながち間違ってはいないけど。

 声を弾ませる二人の顔は、きっと笑っていただろう。クリームパンのようにまあるい、幸福な顔で。その様子を思い浮かべながら、私も笑っていた。


 とっぷりと暮れた夜の只中のようだった私の心に、朝の光が静かに差し込んできた。ふわふわの生地が、不安を包んでくれた。甘いクリームが、悲しみをまろやかにしてくれた。少し先の未来に、楽しみな約束を連れてきてくれた。

 友人からの贈り物は、とてもおいしくて、やさしくて、しあわせな味がした。


 まあるいクリームパンが、冷凍庫であと五つ眠っている。春休みに元気な二人がやってくるのを、わくわくしながら待っている。
 まあるい笑顔で「おいしいね」と言いあいながら、春の日差しのなかで幸福な時間を過ごす。その瞬間を想像するだけで、私の内側は温かく、ひたひたと満ちていく。

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