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【私たちは、迷いながらも“なぜ書くのか”】

今すぐ、この感情を書き留めておきたい。そんな衝動に駆られることが、よくある。自分のために書くときほど、両手の動きが溢れ出る言葉に追い付かない。タイピングが遅い自分に、ひどく苛立つ。書きたい想いが逃げてしまう前にキーボードを叩きたいのに、焦れば焦るほど指先が言うことを聞かない。誤字を連発し、バックスペースを連打する。奥歯を強く噛みしめ、全身に力が入り、呼吸さえも忘れている。書き終わった瞬間、ぐったりと脱力する私の目の前で、忘れ去りたい過去の残骸がバラバラと散らばっていた。

軋む身体をどうにか立たせ、お湯を沸かす。白湯を飲み、深く息を吸い込むと、肺がきゅっと痛んだ。緊張状態が続くと、気道が狭くなる。その影響なのか、過集中のあとは肺や心臓の周りに違和感が残りやすい。

突如やってくるフラッシュバックに呼吸を乱し、我が子に会えない寂しさを持て余し、秋晴れの空をぼんやりと眺めている。こんなにもきれいな青空なのに、心のなかは土砂降りだった。
昨夜はほとんど、まともに寝ていない。自分の悲鳴で目を覚まし、嗚咽をこらえ枕を噛み、呼吸を乱して身体を折りたたむ行為を何周か繰り返しているうちに、夜が明けた。私の夜が本当の意味で明けるのは、一体いつなのだろう。

「読む」行為は、「書く」に比べると随分とゆるやかだ。書くことに疲れると、脳のスイッチが自動的に切り替わる。細く息を吐きながらnoteのタイムライン眺めていると、とあるタイトルにスクロールする指がぴたりと止まった。吸い込まれるように読み進めた私は、再び冒頭に戻った。もう一度、読み返したい。そう思った。

本当に困っている人間に、言葉など意味を為さない。言葉の力なんてただの1度のハグに絶対に敵わないのだ。

言葉の力は、存外大きい。それでも、毎日のように思う。言葉を綴ることに、どれほどの意味があるのだろう。諦めたくない“きれいごと”がある。でも「書くこと」で、どこまでそれに近付けるのだろう。何時間もかけて推敲した文章で、一体何をどこまで変えられるっていうんだろう。

それなのに、なぜ僕は言葉を綴る仕事をしているのだろうか。

リョウタさんのエッセイをはじめて読んだのがいつの日だったか、もう覚えていない。たしか、恋愛エッセイを読んだのが一番最初だった気がする。
読み続けるなかで、リョウタさんがベーチェット病を患っていることを知った。難病であるこの病により、リョウタさんは先日、今年3回目となる目の手術を受けた。

難病になる。

その事実を確率論で考えた場合、僕は遥かに低い確率のくじを引き当てた。

文章の端々に、奥歯を食いしばったであろう痕が見え隠れする。手術直前に書かれたこのエッセイには、リョウタさんの生の心情がぎゅっと詰まっている。

タイトルを書くまでの葛藤を、勝手ながら想像した。すべてを「わかる」なんて、とても言えない。リョウタさんの痛みは、リョウタさんにしかわからない。でも、「痛い」であろうことはわかる。具体的な色や種類まではわからずとも、それだけはわかる。

最後の一節を書くのは、きっと簡単じゃなかったはずだ。どれほどの逡巡の果てに書かれた言葉なのか、“書かれていない”思いにこそ、目を凝らしたい。

人の痛みを美談にするのは違うけど、自分の痛みは美談にしていい。私は、そう思っている。無理にそうしろという話じゃない。あくまでも自分が望むならばの話で、リョウタさんもきっと、そういう思いで言葉を紡いだのだろう。

美談にしてやる。糧にしてやる。
その一心で乗り越えるしかない痛みもある。書いて己を奮い立たせ、それでようやく前を向ける朝もあるのだ。

私の夜が本当の意味で明けるのは、一体いつなのだろう。

今朝、ベッドの上でひとり頬を濡らしていた私は、たしかにそう思っていた。しかし、リョウタさんのエッセイを改めて読み返し、気づいたら顔を上げていた。起床から5時間、今、私はこう思っている。

必ず、明ける日はくる。

先のことなんてわからない。いつでも前を向けるほどポジティブな人間でもない。ただ、リョウタさんが絞り出すように書いてくれた言葉が、私の背中を押してくれた。強く蹴とばすのではなく、やさしく、そっと押してくれた。そのことを、書き残しておきたかった。

泣き出したいほど不安な日に、誰かの力になることを願って文章を置く。それができる人は、決して多くない。「強い」と言われると、弱音を吐けなくなる人もいる。でも、他にどんな言葉で表したらいいのかわからない。「強い」は「やさしい」とイコールなのだと、こういうとき、しみじみ思う。

今も入院中のリョウタさんが、少しでも休めているといい。身体だけではなく、心の深部に至るまでかかったであろう大きな負荷が、ゆっくりでも癒えるといい。人が人にできることは、あまりにも小さい。でも、ゼロじゃない。ささやかながらも、気持ちを伝えることはできる。私たちが、迷いながらも「なぜ書くのか」の答えが、そこにある気がしてならない。

土砂降りだった空模様に、日の光が差し込む。眩しさに目を細める頃、肺の痛みは消えていた。昨夜の悪夢も、ずいぶんと遠いところに逃げていった。

言葉の力は、たしかにハグにはかなわない。でも、私たちはきっとこれからも書き続けるんだろう。その理由は、リョウタさんが書いている。だから私は、ここには記さない。

ありがとう。

この5文字を、ただ、伝えたかった。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。 頂いたサポートは、今後の作品作りの為に使わせて頂きます。 私の作品が少しでもあなたの心に痕を残してくれたなら、こんなにも嬉しいことはありません。