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この道でよかったと思えた夜

4月某日。
 20時30分に近くのコンビニを出発し、私は奈良の中でも屈指のお気に入りスポット、二月堂へと歩き出した。
 東大寺の大仏殿の裏、街灯もまばらな暗い坂道をどんどん登る。
 途中、立派な八重桜が満開を迎えていた。
 思わずカメラを上に向けると、もう21時だというのに空がまだ少し明るいことに気がついた。
 長かった冬が終わり、ようやく世界が春になろうとしているのを感じた。
 

 山の中に迫り出すように建てられた目的地に辿り着く。オレンジの優しい光を灯す提灯がいくつも吊るされ、木造の堂内は歩くたびに心地よい少しこもった足音が響く。
 
 二月堂から夜景を見るのは何度目か。わからないけれど、今回はかなり久しぶりだった。

 いつか生駒山から見下ろした大阪の夜景や、近鉄石切駅あたりの車窓から見た夜景とは違う、控えめな夜景。決して100万ドルとか、摩天楼なんて言えたものではない。せいぜい視界に全体の8割が収まる程度の、実に奈良らしい夜だ。
 でも私の大好きな奈良の街は、とてもとても美しかった。
 小さな光がよく見るとどれも生きているかのように揺らめいている。
 私もきっと、いつもはあの中の一つとして、チッポケながらに奮闘しているのだろうな。
 春になったとは言えまだ少し冷たい夜風、手水場の水が石に流れる音。紫と黒とオレンジを滲ませたような空。健気に光る街。
 なんだか、この奈良という場所にきて良かったと思えた。

 センター試験の点数が足りず、東京の第一志望の大学を諦め、右も左もわからない19の春に奈良を選んだ。
 楽しいことも素敵な人もたくさんいて、この場所はとても気に入っている。穏やかで、程よく活気もあって。

 でも、同じくらい、辛いことや絶望もここではあった。
 他人とうまくいかなかったり、仕事で失敗して項垂れながら帰ってきたり。
 その度に、ある感覚に苛まれる。
 ああ、ずいぶん遠いところまできたなぁ。と口に出してしまうのだ。
 その遠くというのが、私の故郷からなのか、はたまた自分の理想とする自分からなのかといったことはよくわからない。けれど、この地に一人で根を下ろしたことを、どこか後悔する瞬間なのだ。
 
 けれど、今日久しぶりにこのお気に入りの場所にやってきてみると、思い出すのはやはり、この場所を選んで出会えたもののことばかりだった。
 友人というよりもはや兄弟のようになれた、今は遠い場所に住むあの子。毎晩有り余る時間とエネルギーを散歩に費やした日々。かけがえのない出会いは本当にあげ出すとキリがない。
 大学卒業を機にほとんどの友人が奈良を去り、今は各々の新天地で奮闘している。やはり、私の今いる奈良は以前とはどこか違っている。少し寂しくて、ちょっと今までよりがんばらなければならないことがあって。
 
 でも、やはり確信した。
 奈良で過ごしたこの5年間は、決して間違いではなかった。
 この先もずっとこの地にいるかと言われればそんなことはわからないけれど。
 
 最近聞いている、藤井風の新曲『満ちていく』の冒頭フレーズ。
 恋愛映画の主題歌として書かれたものだが、なんとなく時の流れを感じざるを得ない今日のような春の始まりにとても響いた。

走り出した午後も
重ね合う日々も
避け難く全て終わりが来る
あの日のきらめきも淡いときめきも
あれもこれもどこか置いてくる
それで良かったと
これで良かったと
健やかに笑い合える日まで

 まだまだ生きるつもりだし、やりたいこともたくさんあるけれど、とりあえず今日までの自分の選んできた道を肯定できた、そんな日の記録でした。

 社会人2年目も死なない程度に頑張るぞ🥐



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