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父を軍に殺された娘 #1

マウンさんはヤンゴンの郊外で両親と娘という4人家族で元気に暮らしていた。そのマウンさんは、今年の3月に参加した反クーデターのデモで軍により射殺されてしまった。残された3人の家族はより郊外のほうへと引っ越した。私が彼らの家を訪ねたのはマウンさんの死から8ヶ月後の時だった。

マウンさんの母であるミャさんは黙ってスマホを私の前に置いた。そこには、頭が血まみれになり息絶えた息子、マウンさんの姿があった。

3月の中頃だった。ミャンマー中で軍に抗議するデモが続いていた。軍が実弾でデモ隊を撃つようになったのは2月後半からだった。3月に入ってから軍はより強硬になり、武器を持たないデモ隊に対して自動小銃だけでなくサブマシンガンまで使って一度に何十人も殺すようになった。

連日デモに参加していたマウンさんは、家には帰らなくなった。デモ現場でずっと寝泊まりしていたのだ。当時、デモ現場付近の住民たちはデモ隊の人たちに寝食を自ら提供していた。

そんなデモの日々も長くは続かなかった。デモ隊の中にいたマウンさんは突然倒れ、頭からは大量の血が流れていた。狙撃兵に狙い撃ちされたのだ。母であるミャさんは、息子は背が高かったので狙われたのだろうと言った。

亡くなったマウンさんは年老いた両親と娘の4人家族の大黒柱だった。マウンさんを亡くした一家は、家賃がより安い郊外のほうへと引っ越すことになった。

ミャさんは遠くを見るような悲しい目で一人息子のことを語ってくれた。その隣にはマウンさんの一人娘、メイさんが座っていた。日本でいえば中学生くらいのメイさんは、涙ぐんだ目で黙って床を見つめていた。

彼女にお父さんのことを聞く勇気はなかった。

「こっちに引っ越してきて友だちはできた?」
と尋ねると、友だちは全くいないという。ミャおばあさんの手伝いを一日中やっていて外に出ないからだ。ミャさんは家計の足しにするために、ミシンで縫い物の内職をやっている。学校も閉鎖され外にほとんど出ることのないメイさんに新しい友だちはまだいない。

次に何を聞けばいいか私は困ったが、思い切って聞いてみた。
「将来何になりたい?」

「スチュワーデス!」
と、即座に返事が返ってきた。メイさんは外国に興味があって前からスチュワーデス(客室乗務員)になりたかったという。また、英語が得意で、学年で2番になったこともあった。お父さんの遺伝子を引き継いだのか、メイさんも背が高い。頑張れば本当にスチュワーデスになれると私も思う。彼女は今はオンラインで英語の勉強をしている。

さっきまではおばあさんの隣で涙を浮かべていたメイさんだったが、スチュワーデスの話になると笑顔が可愛らしい少女の顔になった。

今回のインタビューは私から希望したものだったが、実はかなり気が重かった。家族のとても大切だった人の死のことを聞かなくてはいけないからだ。しかし、最後に娘が笑顔で未来を話してくれたことで、私も救われた思いがした。

ところで、今回は20代の若い女性、ティリさんも一緒にこの家に来た。ティリさんは、軍の犠牲になった人の残された家族を支援するボランティアグループの一員だ。こうしたボランティアグループは軍に見つかると資金は没収され逮捕される危険性がある。

毎月この家にやってきているティリさんは、30万チャット(約19,100円)が入った封筒をミャさんに渡した。ミャさんにとっては一家の生活を支える大切なお金だ。そして、それはメイさんの未来にも繋がっている。

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  •  個人が特定できないよう人名は全て仮名にし、写真も一部加工。

  • 写真は成績優秀として学校から贈られたトロフィーを持つメイさん。

  • チャットの円換算は、1円=15.7チャットで計算。

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