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武器をとれ【第2話】『カズタカ』



 カズタカとは小学校三年のクラス替えの折出会ったのだろうけれど、その日の記憶といえば、新担任の後藤先生が教室前の廊下にて自己紹介したときの印象しかない。
「先生、いくつに見える?」
 腐った粘着質の肉塊でも頬張って異臭を放ちながら口腔内で転がすように、嫌に舌に絡みつく口調の問いかけに、皆、しばし沈黙して目を躍らせたのち、一匹の蝉が泣き始めた途端、方々から勝手気ままな声が上がると、たちまち時雨となって木造校舎のガラス窓を震わせんばかりに二階の廊下全体に反響した。
「先生、五十三歳よ、若い?」
「ええっ! うっそうー! ワカーイ!」
 ぼくを含めた飼いならされた家畜どもが、吐きだされた毒気に当たってまんまと誘導され、一斉に新しいご主人様の機嫌取りに躍起になる。
 ニヒルな微笑をたたえた厚化粧はたちまち崩れ、上機嫌で大口を開けて春の陽気を吸い尽くす勢いで声高に笑う無数の皺から浮き出た表情と引きつけに似た喉からの唸りが、なぜか不安を掻き立て、「もうダメだ」と心の中で呟いてしまったのだ。鈍色の眼光から逃れようと誰かの背後にそっと隠れた。
 その場にカズタカがいたか否かは定かではないが、きっとぼくと同様の不安を胸に抱いたのではあるまいか。


 進級早々は良好なクラス運営にて何事もなく平穏な日々を送っていたが、いつしか不穏な空気が漂い始めたことに気付いた。後藤先生の微妙な仕種や表情の端々にざらついた塩味を覚えるようになった。彼女の感情の昂り如何でさじ加減は左右される。些事とてひとたび逆鱗に触れるや、不純なき高濃度の塩分が含有した言霊を容赦なく投げつけられ、その辛さに返答もままならぬほど喉は麻痺する羽目に陥るのだった。「もうダメだ」と心の中で呟いてしまった日から、二年生までそんなことなど一切なかったのに、ぼくは何となく宿題を忘れがちになり、挙句はわざと忘れたふりをするようになった。その度、整理整頓を常に謳っていた後藤先生の大鉈は振り下ろされ、ぼくは人の範疇からやすやす排除された。
 次第に後藤先生の本性が剥き出しになってゆく。自分に素直に従う生徒だけをえこひいきするようになった。母親がPTA役員で絶えず機嫌取りにご執心な生徒に限って頗る甘い。決して叱らない。叱ったとしても、仕舞いには笑いかけ、肩を持つような発言で締め括る。同じPTA役員でも不正許すまじなぞと正義感を覗かせる母親を持つぼくなんかは、悲惨な目に遭うのは必定で、粗を見つけてはこれ見よがしにそこだけを突っついて挑発的に煽り立て、こちらが墓穴を掘るのを見定め、いつ何時も罵声ともどもゲンコが被弾してコブが治まる暇はなし。で、その舌先も乾かぬ間に、戦時中の体験談を交えながら平和を説くのである。
 戦時中、世話になった家で、粥を馳走になり、ふとそこの子供らの椀を覗いたとき、明らかに自分に装われた椀に漂う米粒の量が格段に多くて、恥ずかしくなったが、折角の好意を無にすることは非人情ゆえに己の椀を掌などで隠しながら食した、とか、戦時中の子供たちは冬でも半そで半ズボン裸足にて逞しく生きていた、などとぼくらを蔑むような目つきで語ったあと、戦争はダメだ、暴力に訴えるのは人でなしの行為だ、などと説くのだった。ぼくはたんこぶを擦りながら背筋を正し、その主張には十分納得して頷きつつ傾聴した。
 翌日の教室内には早朝から半そで半ズボン裸足の空元気の男の子で溢れかえった。女の子のスカートからも乾燥した素足が覗き、ひとクラスだけ季節外れの異様な真冬の光景に映った。授業中、窓を叩く霙の音に混じって掌と腿との摩擦音が耳に染み入った。後藤先生は授業の終わる度、生徒の質問には耳も貸さず、「寒い、寒い」を連呼しながら暖房のきいた職員室へと小走りに消えて行った。
 終業後の掃除時間、朝から氷の張りっぱなしのバケツに両手を突っ込んで雑巾を絞り、躊躇しようものならゲンコが着弾するものだから顔色をうかがいつつ、分厚い生地の外套に両手を突っ込んで完全防備の後藤先生の温かいご指導のもと、時折しもやけの指に息を吹きかけながら真夏の装いで氷点下の教室の雑巾掛けに勤しんでいたら、「先生だけ暖かくしてズルいなあ」などとお調子者の本音交じりの冗談を真に受けた先生は、「大人は特別。あんたたちは大人の言うことを素直に聞けばいいの!」と吊り上がった眉を更に引きつらせてツカツカ駆け寄り、そいつの左側頭部目掛けてゲンコは振り下ろされた。右に大きく上体が傾いで倒れる寸でのところで右足を一歩踏み出して難を逃れた彼は、後悔の色を滲ませた表情を強張らせながら涙目を丸くして君臨する女王様を仰ぎ見る。尊い学習をした彼は、それ以来、後藤先生の前では二度とおふざけはしなかった。そうしてようやっと下校を許され、絶対君主の監視下から解放されたぼくらは凍えながら家路を辿るのだった。
 あくる日、登校してみれば、びっしりと詰まったはずのトウモロコシが所々抜け落ちるように珍しく病欠者が相次いで空席が目立ち、殺風景な様相を呈していた。前日までの活気溢れる光景が嘘のように教室内は静まり返った。子供は風の子というものの風邪には抗えなかった。ひ弱な現代っ子には逞しく育った戦時中の子供の真似は些か堪えたと見える。


 喧嘩は両成敗が教育の鉄則だ。しかし、後藤先生の理念は徹頭徹尾揺るぐことはない。些かもブレない。見事だ。ぼくだけを目の敵にする。決して相手方は叱らない。それがお気に入りの生徒であれば尚更だ。
「どうしたの?」
 砂糖を溶かしたような妙に甘ったるい猫撫で声で我が敵をあやす。と、こともあろうか、
「あなたは、向こうに行ってらっしゃい」
 などとさっさと解き放つ。
「また、あんたね!」
 敵が去ったあと、不浄物を祓うように彼女の口から塩を投げつけられ、ぼくは皆の目の前で血祭りに上げられる。そして、これ見よがしに侮蔑の眼差しを突き刺されながら、汚らしい野良猫は首根っこを引っつかまれて教室の外へと投げ捨てられる。
 ぼくの子供らしさが気にくわなかったのかもしれない。ひょうきんで悪戯好きの、その年代の男の子特有の皆の気を引きたいという一種甘えのような行動が災いしたのだろう。後藤先生は何かにつけ、ぼくを折檻した。ぼくは身も心も次第に激しく傷ついてゆくのだった。
 彼女の余りの仕打ちに、PTA役員会議の折、母は学年主任の小川先生に救いを求めた。小川先生のクラスになったことはなかったが、彼は如何なる生徒にも目を配る先生であったため、ぼくのことも入学当初より当然ながら知ってくれていた。
「あの、元気のいい男の子でしょ? あのくらいの年頃は普通のことですよ。特別なことではありません。決して悪い子じゃない。逆ですよ……」
 相談を持ち掛けられた小川先生は、かなりの理解を示してくれ、
「そうですか、それはご心配でしょう、私が目を掛けておきますから、少し様子を見ましょう。担任にも私から話しておきます、安心なさってください」
 と助け舟を出してくれるのだった。
 体育祭の練習時、フォークダンスでぼくの前に順番が回ってきた小川先生は「君、名前は?」。ぼくが自分の名前を告げると、「ほう、いい名だ」と微笑みかけてくれた。そのときの小川先生の慈悲深い柔和な表情は網膜に焼きついて忘れられない。恐らく生涯ぼくの心を癒してくれるのではあるまいか。小川先生のクラスが羨ましかった。
 不思議なことにそれ以来、担任のぼくに対する嫌がらせは、少なくとも身体的折檻は幾分減った気がする。毎日の習慣なのに、丸一日なかったこともある。が、気のせいか、無視されるようになったかもしれない。ぼくの質問にはソッポを向いて無言を貫き通し、決して目も合わせてはくれなくなった。


 四年生に進級しても状況に変化はなかった。
 丸一箇年の主従関係がもたらしたものは、恐怖の連鎖だった。クラス一同知らぬ間に強制が常態化し、「右向け右!」なる号令は、弱い立場の家畜にとって金科玉条となる。子羊どもは矛先が自分に向くのを怖れて、権力者に阿る。互いを牽制し合いながら、我先に取り入らんと密告合戦が横行し出した。教室に蔓延ってしまった慣習からは中々抜け出せるものではない。チクリによって炙り出される顔ぶれは次第に絞られた。勿論ぼくとカズタカは常連だ。主の策謀は効果絶大と見える。
「××キャバレーでございまーす、ブチュー!」
 と言い放ったあと、相原君の頬っぺたにチューを一発ぶちかましてやる。
 『八時だよ全員集合』の影響だった。ホステスに扮したドリフの面々が繰り広げるコントを真似ただけだ。男の子の間で大流行りだった。当然、相原君も面白がってくれると信じてのおふざけだ。ところが、ドリフ一流のユーモアセンスも生真面目な優等生の相原君には通用しなかった。即刻、透かし顔で後藤先生にチクった。ぼくは内心、「ツヤつけやんな!」と彼の人間味ない態度を蔑んだ。で、後藤先生曰く、「キスというものは西洋人の挨拶で、下劣な行為です」と呆れ顔で相変わらずぼくはただただ侮蔑の目で見られ、相原君に向けた不満が己に返ってきた。と、クラスの殆どが家畜の立場を忘れて、牧羊犬のような狡猾な鋭い視線の矢でぼくを射る。矢尻をどうにかかわしながら、己の心の深奥という極々ちっぽけな柵の中に追いやられた子羊は、何処ぞに顔を埋めることも叶わず、方々からの友達がいのない不義理な眼差しに身を晒し、恥ずかしさに縮こまったせいで喉を塞がれてメエメエとも鳴き声すらも上げ損ねた。「お前らもいつかぼくと同じ目に遭うのは必定だぞ」と心の中で叫んでみたところで詮なきことだ。同胞から冷たくあしらわれた孤独な一匹狼、もとい、子羊の心中に寂寥の寒風が吹き荒ぶ。
 後藤先生は自分の好みを押しつけたがる。
 お楽しみ会での原崎達也の出し物にも難癖をつけた。“ぴんから兄弟”の歌真似で受けを狙ったのだ。制服巡査姿で白自転車を頼りなく漕ぎつつ歌ったカトちゃんの真似だ。当時のドリフはぼくらの神様だ。
「子供らしくなか、やめんね! 布施明が上手かと!」
 普段はお上品な後藤先生は、不覚にもお国言葉で一喝して和やかな場の空気を己の空間に引き込んだ。たちまち空気は振動して冷気が充満した。自分の意に染まぬことは、徹底的に排除せねば気が済まぬらしい。結局、原崎は鶯の声帯模写を指先で格好をつけたただの口笛でごまかした。似て非なるものだった。そうしてヤツもめでたくぼくらの仲間入りだ。同志が増えることは心強くありがたいが、団結は無理だと重々承知だ。こんな頼りなき弱者集団では絶対権力に到底抗えるものではないので。


 カズタカも疎まれていた。母親がPTA役員でもなく、ぼくの母のように担任に食ってかかるでもないが、彼の愚鈍で気の利かない性格をもどかしく感じて苛立ちを募らせていたのか、合わせて勉学への興味が乏しく、授業中指されても、「分かりません……ごめんなさい」と恥ずかしそうに頭を掻きながらボソッと小声で素直に詫びを入れるなどという行為が理想的子供像の範疇を逸脱していて、彼女の考える常識とは遥かにかけ離れているのが神経を逆撫でしてしまったのか、常にぼく同様に矛先を向けられていた。
 国語の時間、朗読の順番が回ってきたカズタカはスラスラ読めない。つっかえては止まり、いっとき無言になり、読み方を担任に教えられ、また続きを読み、またつっかえて止まる。それを何度か繰り返した挙句、担任は突如激昂して「ヤメッ!」の金切り声ひとつでカズタカの息の根を止めた。
 二学期の席替え以来カズタカの前の席で、授業中は常に身を縮こまらせているぼくに、頬をヒクヒク引きつらせたまま担任は無言できつい視線だけを浴びせかけた。ぼくの順番なのは端から分かり切ったことなので、言葉を節約してこの先の体力を温存したものとぼくは解した。ぼくは渋々立ち上がり、カズタカと同じように読む。と、つっかえた途端に秒殺された。案の定、鼻に皺を寄せて汚物でも見るような目つきを一瞬だけ向け、現在では不適切な言葉でぼくを気が済むまで罵倒し尽くし、腹の虫を治めてから、プイッとようやく冷徹かつ冷酷な横顔を見せつけた。全身で怒りの表現を演出するのに体力を温存して正解だったろう、とぼくは内心理解を示す。
「本当は、スラスラ読めるとよ」
 彼は授業のあとで淀みなく読んで見せると、ぼくも彼に倣って一節を読み終え、お互い大笑いする。ぼくらは申し合わせてたどたどしい朗読に及んだ訳ではなく、それが劣等生のわきまえなのだ。 
 授業参観日、お互いの母親同士が言葉を交わすうち、同郷だと判明する。翌日、母親からそのことを聞かされていた二人は、どちらからともなく話しかけ、互いに照れくさげに笑みを交換しながら郷里の方言について話題が及んだ。自宅では方言が飛び交うのだが、一歩外へ出ると、悟られて恥をかくまい、と細心の注意で言葉を選びつつぼくは喋っていた。カズタカの口からもお国言葉など一言たりとも零れ出たためしはなかったので、恐らく事情は同じだったと見受けられる。それが、同郷だと知った途端、彼が「『私は……』って、『うんだぁ……』って言うよね」と恥ずかしげにぼくに同意を求めてきた。ぼくが「うん、うん……」と何度も頷くと、カズタカも気恥ずかしさを表情に滲ませながら二人して小刻みに首を折り続けた。彼のはにかんだ笑顔が、教室内の冷気で満たされ、身動きできぬくらい固まったぼくの心を解してくれた。たぶん彼も同様の心持ちだったに違いない。満たされた気分はどんな不条理にも抗えそうな気がした。


 ぼくに対する担任からの嫌がらせは依然と続いていた。
 家庭訪問では、家人の前で愛想を振り撒いて良き教育者を演じ切り、普段教室では見せたこともない柔和な笑みと上辺だけ凪いだ穏やかな眼差しでぼくに次の家庭訪問先への道案内を求めた。道行き、共に歩を進めていたら、玄関先での母の見送り姿が視界から消え始めた途端、一旦沖の彼方へと引いていた潮が、狂暴極まりない怒涛となって彼女の視線から押し寄せ、ぼくのまなこに襲いかかる。彼女のうねった胸底から吐き出された、口ほどにものをいう瞳が起こす津波から逃れん、とぼくは伏し目がちに恐る恐る「あそこの家です」と次の訪問先を指差してやった。と、尚も無言のまま苦虫を噛み潰した表情を一瞬見せたかと思えば、突如豹変し、凍てついた眼光を浴びせかけながらつっけんどんにまたもやぼくを罵倒し、「ついて来るな!」とぼくをその場に足止めしたあとで、不適切な捨て台詞をひとつ置き土産に去って行った。あの人間味のない目の色は、いつまでもぼくの脳髄を突き刺して記憶の底へと沈められた。恐らく一生忘れはしないだろう。今もって何かにつけふと思い起こされる。地獄の番人ですらもっと優しい目ではないかと思った。


 ある日、カズタカは転校して行った。親の都合だったのだろうが、転校先の公立小学校というのは、勉強のできるヤツの集まるとの評判が立つ優良校らしい。
 彼は転校したあと、弟を連れてぼくの家までわざわざ遊びに来てくれた。一度だけだったのか、二度だったかは今となっては記憶は曖昧で定かではないが、父とぼくとカズタカでキャッチボールに興じたのは鮮明な映像で脳裏に焼きついている。その日、弟はその場にいなかったから、彼が訪れたのは二度だったかもしれない。帰りしな「またね」と手を振り合って見送った後姿が印象的で、今も寂しく浮かぶ。 
 それから二年経ち、中学になって再会した。同じ学区だったので期待はしていたが、案の定、教室の廊下側の席で窓枠に頬杖をついていた彼を偶然認めて声をかけた。懐かしさでお互いの顔は綻んだ。
「勉強ばっかりしとったんやろう?」
 少し冷やかし半分でぼくは言った。
「いんや、オレ、もっとバカになったとよ」
 以前と変わらぬ人懐っこいはにかんだ笑みが返ってきて、ぼくはホッとした。
 同じ野球部に入り、お互い真面目に部活動に取り組んでいたものの、彼のほうが先にやめ、しばらくすると不良グループの仲間に入っていた。
 彼は、ぼくの前でも、仲間たちの手前、虚勢を張っていた。が、廊下ですれ違う度に恥ずかしそうに視線を逸らし笑みを浮かべる。ぼくも笑みを返すと、頷き合って別れるのだ。彼は実に憎めないヤツなのだ。
 彼が悪事に手を染めても──悪事といっても大それたことではなく、喧嘩なんかの類なのだが──その心根はぼくならずとも皆の知るところであった。根っからの腐ったワルではないのだ。いわば、高倉健の映画さながら、任侠道の真似事に過ぎない。男の子特有の世界への憧憬だ。その心情はとてもよく理解し得た。


 中学を卒業して、カズタカがどんな道へ進んだかは知らなかったけれど、間もなく不穏な噂が母の口を通してぼくの耳にもたらされることになる。
 ──カズタカが死んだ……?
 ぼくは断固信じるわけにはいかないと思った。
 小学校を卒業したてにモトクロスバイクの競技中に不遇の事故死を遂げた同学年の男子がいた。また、中学一年の夏に、池で溺れて命を落とした他クラスの男子もいる。恐らく母は彼らと混同しているに違いないとぼくは思っていた。
 結局真相はうやむやのまま時は経ち、ぼくはめでたく成人式を迎えることになる。
 成人式当日、久し振りに中学の同級生と再会し、ある居酒屋にて同窓会の運びとなった。待ち合わせ場所の私鉄の駅のコンコースで皆が来るのを待っていたら、ある一人が「カズタカの弟だ」とそちらに指を差した。彼は当時カズタカとつるんでいた不良仲間の一人だ。ぼくは彼の示す方向へと視線を移した。少年の日に会ったきりの弟の面影をぼくの記憶は失っていた。カズタカの面影を重ねてみる。一瞬、どこかカズタカに似ている気もしたが、他人ひとに指摘されなければ皆目分からず仕舞いに違いない。弟はぼくらには全く気付く様子もなく階段を下りて行った。
 ぼくは意を決して、正面の何事も訳知ったもう一人の同級生に、それとなくカズタカの訃報の真相を尋ねてみた。
 公道を走行中のバイク事故であった。今年で五年の歳月が流れていた。カズタカが、この世を去っていたことは紛れもない事実であった。
 急にある春の日の光景がぼんやり頭に蘇った。六年生に進級する年だ。ぼくたちは校門から掃き出され、学校を取り囲む金網を背に整列させられ、背筋を正され、退職してゆく先生方を拍手喝采で見送った。こんな白々しい演出でも涙を滲ませる先生もいて、ぼくらの名演技も捨てたものではないなと内心ほくそ笑んだ。その中に誇らしげに闊歩する後藤先生も混じっていた。ぼくに気付いた彼女はこちらをチラと一瞥して戸惑ったような眼差しを投げかけた。あの目の色の意味は愚鈍なぼくには到底理解し得なかったが、少しでも劣等生の気持ちを解してくれたならカズタカやぼくの傷心も救われたものを。もっと大人に対して尊敬の念を抱く切っ掛けになったやも知れない。


 飼いならされた無力な子羊は、大人になって自由を得たいつの日にか、反骨の狼煙のろしを上げ、後藤先生に類する悪行三昧の絶対君主どもを抑え込まんと誓いを立てた。だが、結局、悪ばかりが蔓延はびこることなどこの世では日常茶飯事だった。本当の大人は他者を決して苛めない。未成熟な子供だけが見せる幼稚な行為なのだ、と考えるに至った。あの担任の仕業さえ、些細なこと。子供じみたはけ口を弱者に向けるしか鬱憤を晴らせぬ可哀そうな成長し切れぬ人間の証。そんな人間など周りには五万といる。そう悟ったぼくは、復讐など最早どうでもよくなった。彼らに代わって、自分自身が絶対的立場に躍り出る必要もないだろう。穏便に済ませられればこの世は平和なのだから。彼らの存在意義なんて、反面教師としてのみ。それでしか、面目躍如を果たし得ないのだ。
 人は皆、未熟な者同士、こんな未発達な世界で生きている。ぼくたちは、それぞれ誰かに飼いならされた従順を纏って生きるほかないのかも知れない。ただ、ぼくに身についた劣等生のわきまえにて抗う精神は、密やかな武器だ。唯一の武器を取って建設的人間関係を構築することが最優先と心得る。


10

 カズタカは十六歳で己の時を止めた。そのとき、後藤先生は六十歳。若輩のまま彼岸へ旅立った教え子の存在に気付いたとき、六十四歳の彼女は何を思うだろうか。同窓会からの帰宅途上、ぼくは思わず天を仰いだ。寒空に星々は閃いている。この空の下のどこかで彼女の時は依然として未来へと流れ続けていることだろう。
 小学校での二年弱、同じ教室の空気を吸った同郷の、カズタカ。いつまでも愚鈍で不器用だった愛すべき仲間。ぼくの脳裏には、劣等生のわきまえに従って朗読するカズタカのしゃがれ声と、ぼくの家をわざわざ訪ねて来て、去って行く後姿が交互に浮かんだ。 
 今日、わたくしは大人になり、カズタカは永遠となった。

          〈了〉


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