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武器をとれ【第6話】『スズメ』

 “自由”を求めて戦う全ての人に捧ぐ



群れ社会

 春麗かな休日、アパート二階の南向きの窓から外を眺めていたら、雀の群れが電線や隣家の瓦屋根にとまった。
 切妻屋根のむねは東西方向に走り、片面を向けた瓦群がぐんの光沢が南中の陽を一枚毎に反射して波打つ。平屋の棟を目線は直角に掠め渡る。右目の視界にアンテナが映った。
 数十羽の群れはそれぞれ散らばって己が場所に落ち着いたかに見えたが、忙しなく狭い範囲内で移動を繰り返す。
 電線にとまっている連中は左程の動きは見せず、比較的おとなしくしている。
 屋根の一団の中から、縄張りを主張するものが現れると小競り合いが生じ、それはたちまちいたる場所に飛び火し、電線で穏やかな休息に浸っていたものをも巻き込んで、激しい抗争の嵐へと発展し、集団全体を飲み込んでいった。
 屋根を追われた一羽が目指した場所はアンテナで、またそこでも猛り狂う嵐に巻かれる羽目となった。それぞれがを押し退け、居場所を確保せんと躍起になる。勝利して奪い取るもの。負けてアンテナの突端に追いやられるもの。様々な闘争が展開する。
 さっきの一羽の元にも次々と敵は挑んで来た。負けては移動を繰り返し、また移動先で占有権をめぐり果敢に挑み、ようやく勝ち名乗りを上げ、安住の地を手に入れることが叶った。が、それも束の間の休息に過ぎず、他の地を追われたものが入れ代わり立ち代わりやって来ては、勝負を挑んで来るのだった。そうして再三再四の激しいせめぎ合いの果て、辛くも勝利し、かの地を死守できた。


災厄

 しばらくその場でじっとしていたものの、自由となったスズメはアンテナの一角を忙しなく移動し始めた。領土を主張せんがためのデモンストレーションなのか、狭い範囲を跳び移ったり、端から端へと羽ばたいてみたり、ある種の恍惚を抑え難しとでも言わんばかりに、小さな体を大袈裟に躍動させ続ける。
 全身で勝者の喜びに浸りきったスズメの動きが、突如ぎこちなくなった。ひとところに留まって、もがきだしたのだ。得体の知れぬ力に抵抗するかのように羽をばたつかせ、苦悶の口をいたまま息を弾ませる。魔物に囚われ、心をも縛りつけられた人形同然に不自由になった。
 よくよく見ると、何やら黒く細い紐のようなものが右足に絡まっている。そいつを嘴で突っついたり、羽をばたつかせ、飛び立とうとした。が、強く羽ばたけば、紐も同じ力でその体を捉え、縛りつける。逃れんとして幾度か挑んだ挙句、小さな体は吊り下げられ、揺れだした。そこからがむしゃらに這い上がり、二本の足が金属の細い棒をつかむと、やっと再び威厳を取り戻すことができた。そうして失敗を繰り返し、長時間もがき続けたが、一向に解ける気配はない。それどころか、却って強固に紐はか細い足を締めつけてしまったようだ。
 恐らく、道端に無造作に捨てられた短い紐が強風に飛ばされ、アンテナに引っ掛かっていたのだ。折角確保できたスズメにとっての安住の地は、運悪く災いの地であった。


孤独

 時は経ち、小競り合いを繰り広げていた屋根の一団がいっせいに飛び立つと、次から次へと雀集団は去って行った。
 周りには誰もいない。電線にも、屋根の上にも。いっときの、ほんのいっときの縄張りを主張して争った仲間たちは、一羽もいなくなった。囚われたスズメだけが尚も格闘し続けねばならなかった。
 自由を求め、嘴を駆使して魔物への攻撃を幾度となく試みるも、願いは敢え無くはねのけられる。そうして、幾日も幾日もむなしい時間が繰り返されるのみ。
 時折、仲間たちは現れた。やはり抗争は飽くことはない。孤独なスズメは、集団の争いに否応なく巻き込まれ、せめぎ合いの荒野で、権謀術数に長けたものの餌食になり、辛うじて己の居場所は死守できたものの、囚われた身では逃れること能わず、立ち向かうしか生き残る術はないのだ。やり込められ、傷つきながらも必死に抵抗した。
 食料など運んでくれるものは誰もいないし、仲間たちが現れれば挑まなくてはならない。こんな飲まず食わずの戦いの日々が、永遠のようにやって来る。戦い終えて夜をやり過ごし、平穏な朝を迎えても瞬く間に抗争の渦中に巻き込まれる。その身は傍目にも疲弊しきったかに見受けられた。しかし、弱り切った一羽に集団は手心など決して加えない。それどころか、寄ってたかって虐め抜く。それが掟だと言わんばかりに。
 スズメは果敢に挑み続けたが、強者を相手にするとき、悲惨な目に遭うのは必定だった。弱者は徹底的に排除される。立ち向かえば却って反撃は激しくなる。
 スズメは身動き取れる範囲で逃げることを選択した。そうすれば自由になれるのだ。だが、逃げることを覚えたスズメは、自由こそ手に入れはした。が、底辺で生きねばならない。強者への道を求めても、孤独の身では限界がある。分不相応な生は全うできはしないのだ。
 時の狭間の一瞬とも言える抗争劇を終えると雀たちは消え、囚われの一羽だけが置き去りになる。だが、休息の時間が訪れた。明日に備え、寂しく英気を養う時間なのだ。
 孤独な夜をやり過ごす。それは立ち向かおうとする意志なのか、唯々耐え忍んでいる姿か……
 ──この、ひとりの意味は何であろうか?
 翌日、翌々日、そのまた翌日も集団は現れなかった。
 風雨にさらされながら三日過ぎ、羽毛は濡れそぼって、凍えを堪える羽目になったが、幸い、降雨のお陰で金属棒についた水滴を嘴で掬い、喉を潤すことはできた。
 棒と棒のつなぎ目に溜まった少量の雨水を糧に七日目の夕日に照らされた佇まいは、達観した求道者然として穏やかに映った。生命を超越した魂のほむらのように夕日に映えている。その姿に、誰しも目を背けることはできぬはずだ。
 夕闇が残照を追い越し、冷たい夜風が吹き荒れて、また真の孤独が始まった。


傍観者

 翌朝、スズメはアンテナに吊り下がっていた。羽をばたつかせるのが精一杯で、体勢を立て直すことは最早不可能なまでに力尽きてしまった。仕舞いには、羽を動かす体力も失せ、だらりと両の羽を垂らしたまま逆さ吊りになった。時々、ピクリと体が痙攣したが、いつしか反射すらなくなり、唯々風任せに揺すられるだけの物体と化していった。
 たまに、仲間たちは現れ、気紛れに突っついたり、ちょっかいをだすものもいたが、何の抵抗もしなくなったと見るや、見向きもされなくなった。
 それから、また長い日数が経ち、季節は初夏へと移り変わり、もう雀たちはそこへは来ない。しかし、あの一羽は揺れ続ける。
 スズメの体から命のしなやかな流れは失われ、腐り、干からび、ひと回りもふた回りも小さくなった肉塊へと変貌を遂げ、風任せに揺れるのみ。少し強い風が小刻みにアンテナを震わせると、無秩序な動きで張り詰めた紐は鞭のように肉塊をパイプに叩きつける。と、遂には屋根を転げて地べたへと肉塊は落下した。
 外へ出て、つがいも作らず子もなさず朽ち果てたスズメを探した。
 むくろはアパートの敷地内の土くれに紛れ、それが、かつて生命の確かな温もりであったことを悟らせぬほどに物質化したのだった。嘴だけが辛うじて何ものかを物語る存在の形見である。
 視線を屋根に移した途端、居ても立っても居られず、洗濯物が風に飛ばされてしまったなどと言いくるめて隣家の住人に脚立を借り、屋根に上らせてもらった。
 アンテナに引っ掛かった紐を摘まんで目線に翳した。紐の先には切断された足が固く結ばれていた。それを見届けたら、安心して脚立を下りた。
 朝、目覚めてカーテンを開けると、自ずと目はアンテナを見た。窓際に立つ度に意識はそちらに向く。
 幾日かが過ぎ、帰宅してひと息つくと、思い出したようにまた窓から外をうかがった。しばらくその場に佇んでから、浅く夕日の差し込む窓際を離れた。
 そうして日増しに、意識も目も最早アンテナには向かなくなった。
 アンテナの一端に黒い紐が下がっている。紐の先には干からびた足だけが絡みついて風に揺れている。

     〈了〉

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