見出し画像

今日も時計が進んだ

今日まで3日間、実家へ帰省をした。

1年ぶりの秋田。

秋田駅で偶然出会った大学生の時の友だちと、言葉にならない喜びをうまくあらわせなくて、笑いながらお互い肩をポンポン叩き合った。友だちは変わらない笑顔だったけど、少しというかだいぶ大人な雰囲気のお姉さんになっていた。そりゃそうだ。20歳が30歳になったんだもの。

母の車で実家に向かうと、家の真裏の山の斜面に広がるブルーシートが、沈黙したまま夏の豪雨を引きずっていた。この夏がどんなに大変だったのか、日々の電話で何度も聞いた話をもお母さんが同じ熱量で話すもんだから、「それは聞いたよ」なんて言えずにうんうんと頷く。

広い居間に1人になったばあちゃんは、加齢のせいか去年よりひと回り小さくなったように感じた。「毎日隣にいたもんがいなくなるとね」と、主語のない独り言のような言葉をぽそりとこぼした。ばあちゃん、何歳になったんだっけ?と聞くと何歳だっけ?と逆に聞かれた。

これはもう、かれこれ3年前かな。

じいちゃんは、大きな窓から海が見える部屋で、ずっとうつろな目で、私たちが話しかけると何か言いたそうで言えなくて。なんだか切なかった。看護師のいとこのお姉ちゃんと一緒に何とも言えずに部屋を出て、あとは苦しくなければねとだけ話してエレベーターに乗った。

エレベーターを降りるといとこの赤ちゃんが信じられないくらい可愛い顔して待っていて、とってもほころんだ。何歳になったんだっけ?と聞くと、おぼつかない仕草で指を立てて教えてくれた。

秋田で過ごした時間は22歳までで止まっていて、久しぶりに秋田に行くと私は10年間タイムスリップしたような感覚に陥いってしまう。
それでも周りを見渡すと、友達は母親になっていて、家族は10年分年老いていて、昔あった駅が改装してお店になったりしていて、時間が経ったんだと気付かされる。

男鹿に新しくできたとこ。おしゃれ。
(定休日で入れなかったけど)


それでもお母さんと妹と3人で過ごす時間は相変わらずで、特に何を話すわけではないけど、小さなことでずっと笑っていられるし感情を手放しに伝えられるから、その安心感の上でふわふわと漂っていられる心地よさがある。2人は、いつも私に一番厳しくて一番甘い。

親も私たち姉妹も、少しずつ一緒に大人になっているけど、中身はずっと同じ。家族だからって理由だけで仲良くできるわけないと思う。分かり合えないこともあるし、煩わしいこともある。お互いにダメなところも弱いところも全部知って、それでも家族はやめられない。だから私の家族は、私に一番厳しくて一番甘やかしてくれるのかなぁ。

なんでもない普通の食卓、の豪華だこと。


昨日の夜、お母さんがごはんの後にすぐ居間で眠ってしまった。妹と私は特に起こしもせず、食器を片付けてお風呂を沸かして、二次会をしながらくだらないことで永遠に笑っていた。お母さんが起きてお風呂沸いてるよ、と声をかけると、「えぇ、ありがとう」と虚ろな目で綺麗になったキッチンをぼーっと眺めていた。

親に甘えられるのはいつまでなんだろうか。反対に、親に甘えてもらえるのはいつまでなんだろうか。
今も離れ離れに暮らしているけど、あと何回、家族と会ってごはんを食べてくだらないことで笑ったり、心配でたまらなくて泣きながら怒ったり、できるんだろうか。この歳になると、親がずっと若くないんだってこと、自分も歳を重ねるんだってこと、意識することが増える。
お母さん何歳だっけ?って聞いたら、もう還暦近いらしいのよ〜とひとごとのように言っていた。え!もうすぐおばあちゃんじゃん!って返したらちょっとむすっとして「今の60歳若いから!」と言っていた。

見送りきてくれた母と妹。
搭乗ゲートでガラス越しに電話できるところあるの。
エモいよね。

帰りの飛行機が離陸した時、ああまた離れちゃうな、って、泣きそうになって、空の上の景色を見ながらこの文章を書いていたら年甲斐にもなく泣けてきた。

あー。さみしい。秋のせいだろうか。
さみしい、せつない、かなしい、は、大切なものがあるという裏返し。

何歳になっても、変わらないつもりでいる。
でも、身体は歳を重ねる。
時計の針は進んでいく。
確実に何かに向かって、戻るのではなく、進んでいる。

一人暮らしの家に帰ったら、お母さんとお父さんに電話しよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?