#73 公私ともに「締め切り」がないと動かない
7月18日、時刻は23時13分。こんばんは、はるです。またしても今日ギリギリ。お昼前に起きてシャワー浴びて、外出して、夕飯作って食べて、youtubuを見てたらこんな時間に(苦笑)。
慌ててnoteを立ち上げました。
仕事で「原稿を書く」ことを生業としていて、締め切りに遅れない人として周囲からは認知されているけれど(遅れるときは事前に連絡して交渉することで信用を落とさない)、そのせいか「締め切り」がないとどうもやる気が起きないという副作用が年々激しくなっています。
だから、それを逆手にとってみようと3年前に初めてみたのが「俳句」です。
作ったこともないのに、句会に飛び込んで、そこで悪目立ちをしながら、人前で恥ずかしい思いを繰り返すことですこーしずつ進歩しています。そして、句会に提出する俳句を○月◯日までにつくらないといけない。
泣いても笑ってもつくらないといけない。
この環境づくりが功を奏して、3年続いているわけなのです。
一人で俳句を作っていたのでは、多分1カ月も続かなったと思います。
「原稿を書く」という仕事だってそう。締め切りがあればこそです。
じゃあnoteは何? と思うかもしれませんが、最初2、3回投稿してとまりました。「締め切り」がないから。
再開したのは緊急事態宣言で外との接点が激しくなくなってしまったから。インプット、アウトプットのバランスが崩れて、何か書かないと筆が鈍りそうだったので、ストレッチ感覚ではじめました。
そして「スキ」とかnoteのいろいろな仕掛けのおかげで、毎日続けるようになり、書くことが日課となって、数週間もすると連続投稿を途切れさせたくないという思いが原動力にもなって、こうしてネタがない日でも書いているわけなのです。
連続投稿がある意味「締め切り」に似た作用を与えてくれているのかもしれません。
どちらにしても「何か」を設定しないと、それをクリアするために動かない、動こうとしない自分がいるので、本当にやりたいこともこの「何か」を設定すればできるかもと思うのに、その「何か」を設定しない自分がいて、いい加減やれよ! と思っていたりする今日頃ごろです。