ユニットバス
ひとりで勝手に死んだふりをして、満足して明日も昼に起きる。
みんな嘘つきってことにしたほうが楽で、誰かに愛されたいとか言ってるくせに愛することの匂いも知らないまんま大人になったせいで、今日もみんなマスクをして、同じ月を見ていた。頼んでいないのに自動的に沈む月と昇る太陽に、いちいち絶望しきらない程度に大人になって、いつまでも眠っているほうが幸せで、明晰夢は天国。まだ十一月の空を見て、雪が降れば少しは幸せになれるとつぶやいた息は、まだ白く煙ることもなく消えた。体中がいつの間にか軋むようになって、目の前でキスするカップルにも何とも思わなくなった。ただ呼吸をしてるだけの物体に何の意味があるのか、というか私の存在は誰かにとって意味のある者じゃないといけないと、思うようになったのはいつからだろうか。美しい感情やまっすぐな言葉に殺される人がいないと思っている君は幸せで、本当はそれが正解。
使われていないユニットバス。シャワーで涙を洗い流してもきれいな人にはなれないし、かさぶたになっても傷は傷のまま、お湯を張って浸かってあふれる体積分のお湯が私の存在証明かもしれない。
今日を引き延ばして明日が来るのを避けるように夜がふける。薬を飲んでからやっと本当の自分に慣れた気がした。自分は一生自分のままなのだということが、救いなのか呪いなのかわからなかった。大丈夫だって言ってほしいけど、何にもわかってない人に私のことなんか語られたくはないし、好意でなんでも聞くよなんて言う人が本当に私の内のヘドロのように蓄積した黒い渦のようなものを聞いて説教もせず引きもしないなんて考えられない。内部爆発が止まらない限り雨の日は死にたくなって、不眠は続いて感情の起伏が激しいといわれるんだろう。こんなに、みんなが気付いてなさそうな世界のきらきらだって見えているのに。
東京は星が見えない代わりに飛行機が見える。キラキラ光って人を運んでいるのが見えると少し幸せになれる。道端の生きているのか死んでいるのか分からないカラスアゲハの写真を撮っているのが私だけだった時、自分を少しだけ愛せる。眠れない代わりに、新聞屋さんのバイクの音も聞ける。
誰にも理解されないことを、孤独ではなく孤高であると、言い切れるまで私は大人にはなれない。
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