今夜誰かに抱かれたい
今回のnoteを書くのには、ものすごく勇気が必要だった。
例えるなら、バンジージャンプに挑戦するくらい。
もしくは「未成年の主張」のように、全校生徒の前で好きな人に告白するくらい、思い切りました。(どっちも経験ないけど)
だからどうか私のこと、「いやらしい」のひとことで片付けないでほしい。
こんな生々しい気持ちも生きてるからこそだよねって、少しでも自分を認めてあげたくて、言葉にする覚悟を決めました。
気軽に話せない内容だからこそ、ドロドロしたものが蓄積されて苦しくなる。
もしもこれを読んで、私と同じように葛藤してる人が一人でもいたら、勇気を出した甲斐があったと思うし、心がものすごく救われます。
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断言できる。
離婚を後悔したことは一度もない。
むしろ別れて良かったと思っている。
だけど、たまにふと切なくなる瞬間があるんだよね。
「私、もう女として終わったのかな」って。
だとしたら一瞬だったな。
独身時代にもっと遊んでおけば良かったな。
そんな思いが涙になって、頬を濡らしたこともあったりなかったり。
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女性にはご存じの通り「排卵期」ってやつがある。
これ、どうしようもなく厄介な期間です。
私の中の「性欲」という怪獣が、檻のなかで暴れまくるんだもの。
「ここから出せよーーー!ガオーーーー」って。
そんな「ヤツ」を、外に出られないように抑えつけているのは「理性」。
あとは「母」という肩書き。
だけど、ホルモンバランスというのは恐ろしいものでして。
排卵期とかそういう関係で、自分の意思とかではなく、誰かに触れたい・触れられたいと思ってしまうことが……たまにある。
そんな自分に気付くたび「所詮、私も動物なんだな」と、ものすごい嫌悪感が襲ってくる。
自分で自分が汚らわしいと思う。
そういう相手がいないのなら。
妊娠をのぞまないなら。
電気のスイッチみたいに、性欲もパチッとオフにできたらどんなに生きやすいだろう。
そうやって、どうにもならないことを考えては、自分が飼っている怪獣をなだめ、時期が過ぎるのを静かに待つのです。
ああ、あと何年こんなややこしいのと付き合っていかなくてはならないんだろう。
このまま上手に生き物としての自分を封印できるんだろうか。
*
生きていくうえで重要な欲求といわれている三大欲求のなかで、食欲と睡眠欲については、ためらいなく人と話せる。
だけど、性欲だけは何となくタブーというか、自分自身でひっそり解決すべき問題の気がして、なんだかなーって思う。
この嫌悪感はどこからくるのだろうか。
性欲がなければ、この世界にいる人たちは存在していないわけで。
生物として当たり前の欲求のはずなのに、なぜ自分の気持ちに自分でバツ印を入れなければならないんだろう。
「今夜誰かに抱かれたい」
そう思ってしまう自分に、見て見ぬふりをしてきた。
「そんなことを考えてはいけない」と言い聞かせながら。
この先、誰かに愛されたいとは思わない。
だけど、せめて私だけは、生き物としての感情が顔を出したとき「そっかあ。今はそういう気分なんだね。そういうときもあるよね。よしよし」って、受け入れてあげられたらなあ。
もう少し、女として生きやすくなる気がするのだけれど。
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