アンチと誹謗中傷について

「あなたの作品は面白くないです」
「お前うざい死ね」

一見どちらもアンチに見える。だが、前者と後者だと目的が微妙に違うと感じる。

前者は作品について。後者は本人に対しての否定である。

誹謗中傷で創作者をやめてしまったり、自殺をしてしまう。そんなニュースを目にすることが増えた。実際に自殺まで行かなくともなんとなくで見ていた人が辞めてしまった。その方も原因は誹謗中傷である。…少し寂しくなった気持ちはある。

さて、前者は誰しも同じように感じるものだ。賛否両論ある作品。とんでもなくつまらない作品。流行りだが全く面白くない作品。数を重ねれば目が肥える。当たり前である。問題は後者の本人に対しての否定なのだ。

本人に対しての否定。これが一回きりならどうだろう。「なんだよ、コイツ」これで終わり。それよりも作品に対してのコメントの方が圧倒的に多いからだ。

これが炎上したらどうだろう。人は正義という名の棘を投げつける。こんなことをしたのだから当たり前だ。こいつには何を言ってもいい。人間ではないのだから。どこか人形のように見てしまっている。ストレスを発散するための人形。いざその人が自殺したとなると驚く。

当たり前だ。人形が急に生を帯びたのだから。皆が手のひらを返す瞬間である。もしかしたら投げた本人はたった一つの棘なのかもしれない。塵も山となるように棘も一人が一つづつ投げ込まれたら痛いのだ。

誹謗中傷している本人が一番傷ついていることもあると思う。普通に負い目を感じている。なにも刺激のない日々。毎日苦労続きで疲れ果てている。責め立てられるのは悪。褒めたたえられるのは正義。いつの時代だって変わらないのだ。
正義が炎上し、反転して悪となる。悪だから責め立ててもいい。どんな暴言を吐いてもいい。誹謗中傷という正義の武器を振りかざす。

不特定多数の人がつぶやいているのだからばれないし、自分に実害はない。なんてことはない。投稿する前に一度立ち止まり考えてみるのもいいのかもしれない。


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