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三度目の入院

二度目の退院(脱走)から半年後、別の閉鎖病院へ。そこは携帯は自由たけど、外には出れないだけで院内も明るいし、売店も行けちゃうし、比較的自由でした。
ここも自主的に入院を希望しました。
多分入院したら何とかなるのだろうと当時は思っていたのだと思います。

馬鹿なことに、チューブを持参してしまう。

持ち物検査はありましたが、ズボンのゴムの間にチューブを持ち込み「お守り」代わりにしていました。
非常識であり、罪悪感がありながらも、初日から部屋のトイレで吐きました。
治らなくてもいい、休憩しに来ただけ。
そんな意識が強かった思いがあります。
思えば、この時の入院に限らず、医者に自分の思いを伝えたことは無かったので「辛い」「寂しい」「不安」をずっと抱えたまま、治療してる振りをしてました。

自由な入院生活も、母に会えないことが寂しかったり、女子同士の人間関係に疲れてしまい、また脱走を考えました。
今回の病院の担当医は、過去の入院中の脱走歴を把握しているので、常にナースに見張られていました。
しかし、過去の脱走成功者の話を何人かの人から聞いていたので同じ方法で脱走をする事を決めます。
今回も仲良くなった子と2人での脱走計画。
高窓から中庭に飛び降りて、バス停まで走るプランです。
書きながら思い出しましたが、私は窓から飛び降りたあと猛ダッシュでバス停までたどり着きましたが、仲間を置いてきてしまいました。

バス停から友達の家に向かい、その日は停めてもらいました。
翌朝、最寄り駅まで母に迎えに来てもらい、10日間の三度目の入院生活も終わりました。

担当医は「やられましたな〜」なんて笑いながら母に言っていた覚えがあります。

ココは病院食がかなり少なく、10代が多いこともあり、自由な割には私には居心地の悪い病院でした。

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