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次男が教えてくれたこと

三人兄弟の真ん中、というのはなかなか切ない立ち位置だなぁと見ていてつくづく思う。
歳が近いから、本当に気をつけて意識的に心を向けてあげないと、ついつい素通りしてしまう。

次男が生まれるまで子どもは遠慮とか、がまんはしないものだ、とどこかで思っていた。でも、それは大きな間違いだったと今では思う。

イヤイヤ期もいいところで、トイレに1回行くのに1時間押し問答をしたりしていた次男だけれど、この時期を通して、彼の「イヤ」という言葉の奥に耳を傾ける、ということを私はものすごく学ばせてもらった。

「イヤ」っていうのが言いたいことなんじゃない。
「キライ」っていうのが言いたいことなんじゃない。

じーっと次男を見つめて、抱きしめて、ラジオの周波数を合わせるように、彼の心に意識を向けた時に、

「さみしい」っていう彼の言葉にならない声が私の心に飛び込んできて、思わず涙が溢れてきた。

「さみしい」なんて、思ってたの?

素直にそう言えばいいのに。いくらだって抱きしめてあげるのに。
でも、素直に言えないこともあるんだ、3歳の子でも。

それは私のせいかもしれない。ちょっと自分を責めた。
でも、そんなところで自分を責めても仕方ないから、とにかくその言葉にならない次男の心の言葉を、もっともっと聞いてあげられるお母さんになろうってそのとき心に決めた。

これまではちょっと保育園に預けたりするときもいつも意外とけろっとしているから、別に特に寂しがったりしていないのかな、と思っていたけれど、そういうときも次男は次男なりに我慢してくれているのが今はわかる。

長男がちょっと席を外している時とかに、「大好きだよ、いつもありがとう」って目を見て心から伝えたら、その時の次男のはにかみ顔から全てが伝わってくる。ちゃんと、伝えよう。

もう要らないって思われるくらい、私の方から、素直に。

三人の子どもたちの母親になり、あまりに日々がパタパタと過ぎていくせいでつい三人まとめて「子どもたち」と見てしまうことが多くなっていたけれど、
三人は一人一人違う人間。ニーズも年齢も全て違う。けれど、何人兄弟であろうと、どれだけ歳が違おうと、一人一人、母親を求めてくれている。

心が三分の一になってはいけない。
三人にとっては一人ずつのお母さんでいてあげよう。

私の懐が今より3倍広く、深くならないと。
子育てを通して「愛を学ぶ」というのはこういうことなのかな。

次男からは本当に大切なことを教えてもらってる。



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