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銀座に背中を押されて。

転勤生活で一番困ったのが、

「行きつけ」を一から探し直さないといけないところだった。

歯医者だったり、美容院だったり、自分のしっくりくる場所が見つからないと、なんとなく生活が落ち着かない。

7年ぶりに東京へ帰ってから、一番落ち着くのは、もうすでに「行きつけ」がある、ということだ。

だから、毎回というわけにはいかないけれど、地方転勤がひと段落し、東京に戻ってからは独身時代からお世話になっていた美容師さんに定期的に髪を切ってもらっている。

東京の端っこの方で3人の子育てに明け暮れているお母ちゃんが銀座へ髪に切りに行くというのは、時間的にも、金額的にもなかなか勇気がいるのだ。

だから、年に数回のお楽しみ。

まず、服から悩んでしまう。

普段公園の砂場で泥まみれになっても惜しくないような超カジュアルな服か、セレモニー用のようなフォーマルすぎる服、ライブなどの時のステージ用の服、の3パターンのどれにも当てはまらない、中間くらいの服で行きたいのだけれど、そういう服はなかなか出番がないので手持ちが少ない。

着たい服を着ればいいのだけれど、銀座、となると構えてしまう時点で田舎者だ。それは、東京に何年住んでいても変わらない。

そして、結局この日はいつも通りの服を着て電車に乗り込み、汗だくで駅まで辿り着き銀座へ到着した。

地下鉄から地上に出たらいろんなものが眩しすぎて挙動不審になってしまう。明らかに場違いで「やっぱり近場で切ればよかったかも」なんて心細くなりながらも美容院へ辿り着くと、長年お世話になっている美容師さんがいつもの笑顔で迎えてくれて、ホッとした。

そして、カラーもカットもを久々にしてもらって、髪も、気持ちもすっきり。

それだけで、なんだか少し胸を張って歩けるようになる。
ハサミひとつで、そんな魔法をかけられてしまう。
美容師のユリさんは、魔法使いだ。

髪も、メイクにも特に興味を持ったことなんてなかった私が、
それなりに気を使うようになったのは、仕事を通して素敵なメイクさんと美容師さんに出会えたから。

この二人に出会えてなければ今頃どうなっていたのだろうと思う。

銀座や都心に出ると、普段会わない人種の人たちにたくさん出会う。
子育てだけしていると、決して交わることがないであろう人たち。
自分の世界がふっと広くなる。
音楽を通していろいろな世界を見せてもらってきたけれど、もうメジャーで活動していた頃からは随分と時間も経った。とっくに昔話だ。

今の世界を、自分の目で、自分の足でもっと確かめたくなった。

子どもたちも大きくなってきたからそんなふうに思えるようになったんだと思う。これまで地方を転々としながら、音楽もなんとかやりつつも、生活の大半は子育てに明け暮れた日々。

それは「子どものため」に自分を犠牲にしてきたのではなかった。
「子どもが一番」と信じて犠牲にしているように感じた時も、正直あったけれど、結局はほぼ主婦でいることを私が選んだのだ。

なぜなら20代で突然出た音楽業界の大海原で経験したあれこれを自分なりに整理して、自分を癒す必要があったから。私はなんの肩書きもない私に戻りたかった。だから、この時間は私の人生では必要不可欠だった。

9年経ってひと回りした今、私もなんだか次の扉を開けたい気持ちになり始めている。

銀座という街とそこで働く人たちの存在が私のその気持ちを不意にぽん、と押してきた。

そんな気持ちを抱きつつ、次に地下鉄を乗り継いで、昔お世話になった方がカフェを開かれたので挨拶に行き、ビンテージの蓄音機でドビュッシーのレコードを聞かせてもらい、お店の本棚からプラトンの「魂について」を少しめくって、また哲学書も読みたいな、ハイデッガーを読んでみたいんだったと思い出し、学びたい欲をむくむくと膨らませながら古書街を歩いた。

その後はオイル交換に行く主人とバトンタッチするために寄り道せずに真っ直ぐ家へ向かった。
小さな小さな東京の端っこの駅には、残暑厳しい中にも秋の風が吹いていて、夏と秋の入り混じった切ない香りがいろいろなところから漂ってきた。

10月には37歳だ。
そろそろまた、新しい扉を開けてみよう。




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