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「春永睦月」と名乗るまで。

note公式企画#名前の由来 参加します。

私が「春永睦月」という筆名を使い出して30年になる。今では人生の半分はこの名前で活動している。実名は「戸籍名」のようでもあり、全くのプライベート、表現の外側にある。郵便物も宅配も、通信販売も春永睦月名義で行い、その名前で自宅に郵便や商品が届けられる。筆名はもはやハンドルネーム、匿名ではなく私の二つ名である。本名は勿論大切な名前だが、私以外の親族も関わってくることなので、ここでの名乗りはご容赦頂きたい。
 
さて、筆名の由来である。この名前を決めたのは無論のこと自分だ。文芸同人誌発足の頃、そのオブザーバーとして私たちを見守ってくれた文芸評論家の先生に、私は問われたことがある。

「春永さん。あなたは何故その名前を名乗っているんですか?説明してみてください」
恩師と仰いだ人の質問である。彼の人はよく問いを投げる人だった。そして、それについて無言でいること、答えを返さぬことを良しとはしない人だった。

「分からないならば、分からないと言いなさい、言葉で」

そんな意図のことを語る方だった。言葉を扱うならば言葉から逃げるな。私は彼の方の姿勢を今でもそう捉えている。

私の名前は単純な由来だ。私が冬の生まれであること、書くにあたって初心を忘れず歩みたい。ゆえに、春永=春が永い・新春睦月=1月。つまりは元旦、一年の始まりと同じ意図で名乗ることにしたのだ。
そういった意味のことを、私は恩師に答えた。

「なるほど。春永睦月と名乗る以上は、今言ったことを忘れてはいけないよ」
恩師は私にそう答えてくれた。

あれから30年近くの時が流れた。いにしえの歌に以下のような一首がある。

梓弓 春たちしより 年月の いるがごとくも 思ほゆるかな

「古今和歌集」 巻第二 春歌下(127) より

奇しくも恩師のオブザーブの元で発行していた文芸同人誌は『弓弦ゆづる』という名前だった。、そしてそこから放たれる。私はそのように言葉を綴りたい。2000.8にその冊子が役目を終え、ネットに書く場を移してからも、私は春永睦月を名乗っている。言葉を綴る限りは、この指が動く限りは、筆でもキーボードでも私はその名前だけを名乗る。初心のままに。

先生。私は相も変わらず頑迷で不器用です。苦笑いする尊顔が見えるような気がします。あと十数年であなたが旅立った歳に並んでしまうと思うと、時間の流れは残酷にも思えますが、進みます。ただ愚直に。

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