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書かない言葉と、書く上で心がけていること。

自分が筆ならぬキーボードに向かう上で留意している事柄を、一度備忘録的に綴ってみようかと思います。


1.禁句にしている言葉たち

否定する言葉を極力使わない。それは刃となって読む人の心を刺してしまう。これはネットで書く以上、年齢国籍問わず不特定多数の人が拙稿に触れるという事象を考えると、大前提として掲げなければならないことだと思っています。以下、「それは書かないよ、当たり前じゃない」とお思いになられると存じますが、どうぞご笑覧ください。

「駄目駄目」 「書いて(言って)いる意図を疑う」
「AではなくBが正解(とある内容を否定する)」

等々。……(;^^A noteはクリエーターが主体なので、他者に対する敬意を大切にしている方が多いと思うのですが、SNSでは「ディスる」言葉が横行します。哀しくなるのでミュートしますが(^^;)
否定ではじまる、断ずる言葉は記さない。私は評論家でも批評家でもないのだから。社会的な発言(8月に関することなど)も綴る自分、それを常に心がけ、意識し続けています。


2.漢字の選択を工夫してみる

これは個人的な志向性なのですが。こちらや

このショートショートに

「莫迦」という台詞が出来てきます。普通は「馬鹿」と書くことが多いのですが「馬や鹿に失礼じゃないの、この単語」と思ったりするのです(は?)片仮名表記でもよいのですが、私はよく「莫迦」の単語を用います。私のATOKも「馬鹿」よりも「莫迦」を変換候補の上位に挙げてきます(鍛えられちゃったね、ATOKさん(苦笑)。

余談。Wikipedia先生に質問してみました。


3.心情を情景描写で表現する

これも「正解」を提示しているのではなく、私・春永睦月という素人物書きの書き方を記しているとご理解頂きたく。
読んでいる人は主人公の置かれている状況が分かりません。書いている私は全てを把握しているため、主人公の心理をすぐにでも言葉にしたくなります。ですが、それでは「読む人が背景を理解できない」状態で「愚痴を聞かされる」ことに繋がるのではないかと。プラス、情景を提示することで、読む人は、作品の状況が分かり、場面を想像する、脳内で画や動画を映すことができたりもします(そうした感想を頂戴したことがあります)。

拙稿から一部を注絀してみます。
以下は主人公の目に映る風景を綴り、心象と重ねることを狙いました。

真夜中の国道、行き交う車が灯すストップランプの赤が湾曲した線を無数に引いて、バイクにまたがる私の頬を掠めて後ろに消えていく。

小一時間で海に着く。空は夜の漆黒から茜をまとった群青と紫に色を変えていた。さざん、と音と立てて波が砂を洗う。

水平線に愛を告げる』 より

以下は、情景というより「音」の効果を狙ったものです。

乾いたヒールの音が、カン、と2人の終わりを告げる音を立てていた。

未来(さき)を手放す』 より

等、拙稿の裏話でした。次にこのテーマで記事を書くならば「プロットをどう立てるか」がよいかな?と思っています。noteでも「文章講座」が多く記事にあるようです。私も拝読しています。そうしたものではなく、書くことのメモとして備忘録的に綴る予定です(文章を書く方ならば当然分かることばかりかと。恥ずかしい次第です💦)

何を書くかは大事だが、どう書くかはより重い。
どう書いていくか、それを学ぶために、
書く数十倍は「読む」。
読むことと書くことは相似形であり、
独りよがりにならぬように、常に学ばねばならない。

私が書く上でいつも心がけ、己に言い聞かせる言葉です


それでは、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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