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2020/8/9感情の記録‐この圧倒的自信の持てなさはどこから来ているのか‐

「自信持って!」
「自信を持てることはなに?」
「堂々としたらいいよ。」

小さい時からいろんな場面で言われてきた。でも、どうしてもできない。自信が持てないのだ。今でもそう。

たくさん頑張ったこと、練習をしたこと、最後まで成し遂げたこと、成果を出したこと、たくさんの人に褒められたこと、それでも自信を持つことができない。

根拠がないからだと思う。

私の行動や取り組みには再現性がない。いつもだ。同じようにできない。過去にやったことをどのようにやったのかが思い出せない。
だから、成功の要因になったと思われる過程での行動がわからないのだ。
フローがあるものは手順を記録していけば、それを見てマニュアル通りに進めていけばできる。というか、作業が終了する。

でも、終了の完成系が多岐に渡るもの。
日々の仕事の成果、文章を書くもの、楽器の演奏、漠然と「成長したと思うこと」という質問への回答。
それには、圧倒的に自信がない。

「うまくできてたじゃん。」
「よかったと思うよ〜」

そう言われても、「そうかなぁ。」という感想ばかり。
楽しかったなとか、頑張ってよかったなとは思うけど、うまくできたな、とか、これが最高だったな、とかは思えないことが多い。

行動の理由や根拠がない。感覚。直感で動く。こういうことが予想されるからこうしよう、ではなく、とりあえずできそう(いいことに繋がりそう)だからやってみる、こうなった。なるほど。以上。
その繰り返し。

とりあえずできそう(いいことに繋がりそう)の根拠がない。いや、どこかにはありそうだし、あるはずなんだけど、「んー、そんな気がする!」を言葉にできないまま行動して、結果が出てくるので根拠はなくなる。

私がこうして、感情を記録しているように、そのときの感情(=思ったこと、考えたこと)をそのときに残しておかないと、すぐにまた、言葉の波に飲まれていく。

そのときはきっと、言葉にさえなっていないので、言葉の波に上書きされるような感じだ。

でも、こうしてみようを言葉にする時間を作ってばかりいたら、作業は進まないし、周りの演奏は流れていくし、仕事にならない。

みんなどうしているのだろう。

だから振り返りが大切?でも、そのときに思ったことは、思い出せないことも多いんだよなぁ。でも、やってみないとわからないのも事実。

仕事用の紙のノートがある。会議のメモとか、タスクの整理で使おうと思ったけど、会議のメモは議事録が一番いいし、タスクの整理は結果、付箋をPCに貼るのが最適となって、カバンに入れたままのノート。

毎日10分でも、お付き合いしてみようか。書けないなら書けないでいいけど、言葉の記録をノートにも。

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