「辞める」と、手の中に残っていたもの

昨日友達と話していた時のこと。

友達が新しく始めたアルバイト先で身についたことを教えてくれた。忙しい店内での接客は、①『頭の中で瞬時に動作の組み立てをすること』、②『周りをよく見ること』が必要で、それはアルバイトだけでなく日常生活にも活かされているのだと。

それを聞いた時に、同じく最近まで接客業をしていた私も知らぬ間にそれらが身についていたことに気づかされた。

元々航空業界を志望していた私は、初めてのアルバイトにホテルの宴会スタッフを選択した。夢のため、続けていれば高いサービススキルが身につけられるのではと、足が悲鳴をあげる日の方が多かったが頑張って働いた。しかし、コロナの影響で1年シフトに入らない間に同期や先輩は卒業して学生は私だけになっているし、憧れだった航空業界とは全く違う道に就職を決めた私が久しぶりに出勤した時は、ただ“きつい”という感情しか残っていなかった。残りの学生生活やりたいことが多い方である私は、目的とモチベーションを失ったアルバイトをこの夏、辞めた

ー3年半。この期間で私に何が身について、それらはどうやって活かされるんだろう、もはや何も身についていないとさえ思っていた。昔から「卒業」という強制的な終わりが来ない限り、一度始めたものは最後までやり切ってきた。私の最後までやり遂げるという継続力の裏面には、自ら何かにピリオドを打つことで崩れる関係性や、人からの批判的な目が怖いからという想いがあることを、去年の夏同じようにある活動を辞めたいと思った時に気づいた。

辞めることでその活動で関わった人達と疎遠になってしまうことが怖かった。ましてや私はその活動を始めて1ヶ月も経っておらず、そんな短い期間で辞めるなんてと思っていた。小学校の時に一緒にブラスバンド部で活動していた先輩が、代はかぶっていないけれど中学校で部活を辞めたらしいと聞いた時、私はあまりいい印象をもたなかった気がする。私も辞めたら周りからそう思われるんだろうなという気持ちがどこかにあった。でも、活動がストレスになっていることを相談した友達の「明日辞めるか、半年後に辞めるかの違いだよ」という言葉に後押しされて、私はその時人生で初めて途中で辞めるという選択をした。「辞めたい」と言う時はとても勇気がいたけど、関わってくれた人達が優しかったおかげで、疎遠になることはなかった。

中学時代副部長だったのに呼び出され生徒指導の先生と部活の顧問に激怒された時も「辞めたい」と言わなかったし、これまで付き合ってきた人にも自分から「別れたい」と言ったことはない。アルバイトも当然のように4年間続け、大学卒業のタイミングで辞めるものだと思っていた。4年間続けた先にのみ得られるものがあると思っていた。だから今回アルバイトを辞めたことは、自分としては中途半端な結果になってしまったという気持ちが強かったのかもしれない(辞めたことは後悔していないけれど)。何も得ていないまま終わってしまった、航空業界に就職しないのに働いてきた意味がなかったと感じていた。

けれど、昨日友達の話を聞いて「あ、自分身についているものあったんだ」と気づけたことで、私の3年半が無駄じゃなかったんだなと感じとても嬉しかった。『頭の中で瞬時に動作の組み立てをすること』は、今マルチタスクをこなしている自分が普段無意識にできていることだし、『周りをよく見ること』はチームリーダーとして自分のことだけじゃなくメンバーの状況を知ろうとすることに活かされているし、それが強みとさえ周りに言われる。

私の苦手な「辞める」という決断をしたことによって、新しいことをはじめる機会が生まれた。何より、私の手の中にはちゃんと3年半の頑張りが残っているから安心してまた新しいことに挑戦していきたいと思う。


P.S. アルバイトを辞めようか相談させてもらった何人もの友達ありがとう。友人Mの「ハルナがこれまで決断してきたことで失敗してきたことないでしょ」っていう言葉にはだいぶ救われたし、本当にそうでした。


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