不登校→好きなことをやり続けた結果
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不登校→好きなことをやり続けた結果

(これは、実際に学校の課題研究発表で全生徒に向けて話した内容である。)

「自分を生きるということ」

星槎国際高等学校 福井学習センター
大川晴菜

1.はじめに

私は学校が苦手だ。
毎朝決まった時間に起きて、決められた通学路を歩く。決まった授業を受け、決まったご飯を食べる。そういった決められたことが出来ないのだ。
人に言われたことも出来ないなんて、大人になったらどうやって生きていけばいいんだろう。中学2年次になると、学校にも行けず、そうやって悩む日々が続いた。
ある日、一人で外を散歩した。
晴れた空に羊雲。道端に咲く地面を覆い隠すほどの背高泡立草。草と草がすれる音が聞こえてくると、トカゲが飛び出してきた。ふと前を見ると終わりの見えない道がまっすぐ続いている。

綺麗だなぁ。私は何を悩んでいたんだろう。

今までのことは忘れて、どうでもよくなった。

ここにある雲や草やトカゲと一緒に、私も自由に生きよう。そう心に決めた。

** **

さあ、そうは言ったもの

自由に好きなことだけやり続けたとして、生きていけるのか?

そんなこと、学校の先生は教えてくれなかった。
未来がわからなくて怖くなったが、今までの我慢人生に戻るほうが怖くて嫌だった。
こうなったら野垂れ死ぬ覚悟で、最後まで好きなことをしてやろう。
誰もやったことがないのなら、私が最初の一人になってやろう。

今回は、好きなことをやり続けてきた私の実験人生の途中経過をまとめようと思う。

2.目的

★自由に好きなことだけやり続けられるか検証する

☆発表を通して自分を知ってもらう
☆この発表のみならず、他場面でも活かせる自己PR資料を作る

3.方法と手続き

〈方法〉
目の前にある「やりたいこと」「好きなこと」を実行していく。
〈手続き〉
当時の様子がわかる資料を挟み、中学3年次からの失敗や成功を順番にまとめる。


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《中学3年生 4月》

母がスマホを買ってくれる。
歌い手に強く憧れていた。
音楽投稿アプリ“nana”を使って自身の歌を投稿。

近所迷惑にならないよう、夜な夜なクローゼットの中で歌い続ける。
納得いくまで録音・確認を繰り返すと、いつの間にか7時間経っていたこともあった。
また、たくさんの人に見てもらうため、ユーザーが特に利用する曜日、時間。評価ボタンを押したくなるような題名、詳細の書き方などを研究し、少しずつ知名度を上げていった。

こんなことを続けているうちに、ネット上には尊敬しあえる友達ができ、歌をUPすれば色んな人に喜んでもらえて、今までとは見違えるほどに自信がついた。


《中学3年生 7月》

福井市内のフリースクールに通う。
ここで出会った、小野寺さんという方に会うためだった。

小野寺さんは、子どものように好奇心旺盛な人で、いつも自分がやりたいことをしていた。
「あれしたい、これしたい」と勝手に色々挑戦して、興味を持った生徒が寄ってくる。
小野寺さんの周りにはいつも勝手に人が集まっていて、楽しそうだ。

私の理想だった。こんな大人になりたいと、いつも思っていた。

そんな小野寺さんが主催したのが
「不登校つながりカフェ」

(左から、 小野寺さん ・ カウンセラーの津田先生 ・ 私)

このイベントは、不登校の子を持つ親を対象に“不登校は問題じゃない“ことを伝えるために開催した。
不登校だけど超元気だった私は、講師の立場として参加し、自らの体験を語った。
色々な方から質問を頂く中で、自分の考えを固めることができ、自分を見つめなおすことができた。またやりたいと強く思った。

(当時の感想)


《中学3年生 12月》

NHKのど自慢大会の福井開催が決まった。
「歌うのが好きだから」という理由だけでなんとなく応募。

後先考えず、ほぼ練習することなく予選当日を迎えた。
ほぼ引きこもりで、まともに外出しなかった私は服も適当、髪はボサボサ。
家のクローゼットでしか歌ったことがないのに、選手250組の前で歌うなんて…。

250組のうち、本戦出場は20組。

名前を呼ばれたときは心臓が飛び出るかと思った。
なんと、翌日に行われる本戦への出場が決まったのだ。

(予選直後の母のFaceBook)

1000人の観客、全国生放送。
初めて立つステージ。緊張で頭が真っ白だ。

スポットライトの光が異常に暑くて、冬なのに汗が止まらなかった。

体は微塵も動かなかったものの、しっかり歌いきることはできて、
“鐘二つ”で無事初舞台を終えた。

(HNKのど自慢大会の集合写真。下段、左から二番目)

後日、録画を確認。動きは驚くほどダサいし、他の人に比べると歌も下手だった。
でも、歌っているときはただひたすら楽しかったし、こんな悔しい気持ちじゃ終われない。

いつか立派にステージに立つと決めた。


《中学3年生 2月》

「また講演会したいなぁ」
7月に行った“不登校つながりカフェ”を思い出して、そうぼやいていたら母が言った。
「じゃあ自分でやれば?」

そうだ。やりたいことはやっちゃおう。
自分で主催して、参加費ももらって、お金を稼いでみよう。
お金を稼いだことがない私は、労働基準局に電話して、中学生がお金を得てもいいかどうか聞いた。
どうやら雇われない限りは大丈夫らしい。

次に、会場を押さえた。
その後、自分でチラシを作って、不登校児の親が集まる場所に足を運び、宣伝活動をした。
参加者の申し込み管理だって自分でやる。
チラシに小さく書いてある通り、この時は昼夜逆転していたため
17時以降しか申し込みの電話は受け付けなかった。

(初めて自分で作ったチラシ)

私一人では人脈も少ないので、母にも手伝ってもらった。
元気な不登校生・大川晴菜を育てた母の話も聞きたいという人がたくさんいた為、
母も交えての講演会とした。

会場はAOSSA 6階601。まさにこの課題研究発表が行われた会場。
お客さんはどのくらい来てくれるだろうか。
不安いっぱいで当日を迎えた。

初めて主催した講演会は大成功だった。
自分を自分の言葉で表現しきった。心から楽しんだ。

(講演会の様子)

【一部の感想】

● ぼくは学校が楽しいけど、いい話だった。(小6男子)

● 話の内容もよかったが、何より、大川親子の「横の関係」を実際に目で見て、体感できたことが、今日ここに来られた方に大きな意味があったと思う。

● 話の中で、晴菜さんが小5の時に、母親としての役割に悩んでいる祥代さんに言った言葉が紹介されていた。「“ママ”って人はいないんだから、大川祥代でいいんじゃない?」これほど柔らかな言葉を、私はこれまで聞いたことがない。そんな素敵な言葉と生き方が飛び交う講演会でした。

● 晴菜さんの言葉は軽やかで、自分の正直な気持ちを伝えることを心から楽しんでいるように見えた。「自分の道を行っても、他人の道を行ってもいい」「明るくても、悩んでもいい」これを聞いてハッとさせられた。素朴だけれど私たちが忘れがちなこと…。世界は驚くほど広く、様々な人達がいて、様々な生き方がある。一つの答えを決める必要なんてないのだ。

● 「引き出し」が新たにできて、これから子育て等に悩んだ時、ちょっと楽に考えられるかもしれないと感じています。

● 「…ねばならない、はない」「仮面を外す」「実験人生」「ありのままを受け入れる」新しい価値観、世界観が見えた思いです。

● 晴菜さんは教養たっぷりだと思います。情緒がある人が教養のある人だと思います。

また、この後も何度か講演してまわった。


《高校1年生 6月》

変わらず歌に没頭。
定期的に動画をあげるなどして、歌うことが大好きだとネットで発信し続けたところ、
福井県でアーティストを育成している方に出会った。

そこで出演したのが、福井CHOPで行われた「Filling of Fortune」。
初めてのライブだ。

他の人に劣らないパフォーマンスをしなきゃ…。
しかし、やっぱり人前で歌うのが慣れていない私は
超絶ダサい踊りとイマイチな歌を披露して終わった。

そんなとき、出演することになった「朝活」
私は歌の講師として、歌の楽しさを伝えることになった。

のど自慢のときも福井CHOPの時もそうだったが、
いつも緊張して思うように歌えない。
そんな私に講師なんて務まるのだろうか。心から不安だった。

それでも、歌うことは大好きだ。
上手くやろうと思わずに、好きな曲を好きなように歌ってみよう。

それからは色んな準備をした。
ギターが好きな友達を誘って、当日私の歌と一緒に披露してもらうことにした。
一緒に口ずさめるように、お客さん用の歌詞カードを作った。

当日、大成功だった。

ゆったりした雰囲気で歌い、講演会をやっているときみたいに、自分の言葉でマイペースに話した。
歌は上手く歌おうとしなくていい。楽しむのが一番だ。



《高校1年生 12月》

単発のイベントアルバイトが大好きだった私は、初めて着ぐるみに入った。
かわいいキャラクターになりきれば、みんなが可愛がってくれる。
握手をしてあげるだけで、飛んで喜ぶのだ。超面白かった。

「楽しかったなぁ」そう呟いていたところ紹介されたのが
福井県観光営業部ブランド営業課だ。県の公式キャラクター「Juratic」のアクターを募集していた。
といっても、県庁に雇われるわけではない。
Juraticの運営を任されている会社があり、主な子供向けイベントはここで企画している。そこにアルバイトとして入社するのだ。

すぐに連絡して面接に行くと、こんなことを聞かれた。
「MCできる?」
正直MCなんてやったことない。
でもMCをしている自分を想像したらワクワクが止まらなかった。
「できます!」
即答した。

それから私のMC活動が始まった。

(当時の様子)

だが、思うように上手くはいかなかった。うちのイベントには台本がないのだ。

流れもセリフも覚えなきゃいけない。
覚える作業が苦手な私はステージが終わった後、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

不安に暮れる私に、代表者はこう言った。
「一番ははるちゃんが楽しむことだからね」

ハッとした。私が一番大切にしていたことなのに、いつの間にか忘れていた。
正しく仕事をするのも大切だけど、楽しくなきゃやってる意味がない。

その時から自分が楽しむことだけ考えた。
自分が生き生きした表情で楽しんでいると、子どもたちも喜んでくれる。
もっと喜んでもらいたい。もっといいMCになろう。
そう思ったら途端にいろんなことができるようになった。

イベントに携わっている時間、すべてが楽しくて仕方ないのだ。

それからは毎週のようにMCをしてまわった。



《高校2年生》

「いつかは県外の現場も行ってみたい。たくさんの人に私の楽しんでいる姿を見てほしいなぁ。」
よくそんなことを口にしていた。
県外で活動する自分を想像してワクワクしては、手帳にもかいた。
その直後、県外の仕事をたくさん頂けるようになったのだ。
都心部の駅構内での出向宣伝、広島の遊園地でもMCをした。めいっぱい楽しんだ。

(東京 / 上野駅)

(広島 / みろくの里)


時は過ぎ、2月。
2月14日は「Juratic」が誕生した日で、毎年周年祭を開催していた。
この年は4周年目で、固定のファンもたくさんついてきた為、福井・東京の二つを開催した。

一年で一番大きなイベントでかなり楽しみにしていたのだが、メイン司会に選ばれたのは私ではなく、先輩MCの「りかこお姉さん」。

彼女はMCが驚くほどうまい。いつも冷静に状況を判断し、時間内にやるべきことをしっかりやる。当日も安定した進行だった。

そんな中、私にも仕事はあった。ほんの一部分だが、全員参加型ステージのMCを任された。
今までやったことがない、初めての企画。
ここで起こったトラブルに迅速な対応ができなかった。結局りかこお姉さんに助けてもらい、私の出番は終了した。
残りの時間は裏方や写真撮影に専念した。

イベントも終わり、少し落ち込んでいたらアクターさんにこう言われた。
「ヘタクソやったなぁ。りかこちゃんと自分、何が違うかわかるか?」
わからなかった。一緒にセリフの練習もしたし、言葉のチョイスも一緒に考えた。

「シミュレーション力やで。りかこちゃんは事前に当日の流れを全部イメージしてるんやで。」
心に刺さってきた。その通りだ。
今回は台本が決まっていたためセリフの練習はしたが、他のことは考えておらず

私がMCをしているとき裏方ではなにをしているか把握していなかった為、トラブルを予知できなかった。
面と向かって「ヘタクソ」と言われたのは初めてだった。悔しくて、家に帰ったら泣いた。
その日からライバルはりかこお姉さん。
私は準備をするのが何よりも苦手なので、少しずつ準備や練習のくせをつけていくことにした。



《高校3年生 春》

歌を歌いたいと言ったら、イベントの最初で曲を歌わせてもらうことになった。

せりかなさん作詞作曲の「Dinosour」。この曲は新しいJuraticのテーマソングとして全国にリリースされている。
「心の中にはいつも帰り着く場所があるから恐竜のように強く一歩を踏み出せる」といった内容のものだ。
この曲の歌詞は自分にひどく重なる部分がある。せりかなさんに「この曲は晴菜のものだと思ってるから。」そう言われたときは涙が出そうになった。本当に私は恵まれている。

自分をもっといろんな場所で知ってもらうためにSNSを始めた。
自己発信は苦手だったが、色んな人と繋がっていくうちにどんどん好きになっていった。
本格的に始めてから数か月。多いときは1ヶ月に100人程フォロワーが増える。
今はイベントで楽しんでいる姿を他の人が勝手に発信してくれる。いわゆるファンの方が出来たのだ。楽しいことはみんなで共有する。本当に幸せだ。
Twitterで大川晴菜と検索してほしい。私の名刺代わりだ。



《高校3年生 夏》

CMの主演に誘われた。メディアで活動している人に強く憧れていたので、体が飛んでいくほどワクワクした。
カメラに映るのも初めてだし、演技もしたことがないが、
「やります!」
やっぱり私は即答した。

そして、CMのナレーションもやらせて頂けることになったのだ。
私は不登校の頃から声の仕事にとても憧れていた。歌い手もそうだし、声優になりたいとさえ思っていた。心の底から嬉しくて、絶対に次の仕事につなげようと全力で収録に挑んだ。

「話すの上手いね。ナレーションの勉強してるの?」
そう言われるくらい頑張った。家で一人で録音しては聞き返してを繰り返した。

撮影も順調に進み、完成したのは「越前サマーフェスティバル花火大会」のCM。
期間限定放送だったが、テレビで発信されたことは私の人生の大きなスタートになった。
これで終わらせたくない。
「またテレビに出たいです!」

最後はそうしっかり伝えた。
Twitterに動画を載せているのでぜひ見てほしい。

<blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">【超今更】大川晴菜出演CM🎊🎉<br><br>初めてのCMで<br>ナレーターも挑戦しました。<br><br>知らない世界すぎて緊張したけど、バカみたいに楽しかった😚💕<br><br>┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈<br><br>伊藤せれね(<a href="https://twitter.com/odd_itse?ref_src=twsrc%5Etfw">@odd_itse</a> )も出演│ω・)<br>⚠️放送期間 〜8/15<br>⚠️最初ちょっと切れてる <a href="https://t.co/iM3hYJyL9o">pic.twitter.com/iM3hYJyL9o</a></p>&mdash; 大川晴菜(はるなお姉さん) (@HarunaOkawa) <a href="https://twitter.com/HarunaOkawa/status/1044936981183049728?ref_src=twsrc%5Etfw">September 26, 2018</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

(撮影風景)



《高校3年生 12月》


私は口に出せばなんでも叶うのだ。
やりたいことがあったら、まずはなんでも「やりたい」とぶつかっていこう。

「またテレビに出たい」
そう口にしてから、約3か月。夢がかなった。

番組のリポーターの仕事を頂けたのだ。
ここで初めて食レポに挑戦した。

1万円のチーズやらフォアグラやら、今まで食べたことがないものはいい反応が撮れたのだが、食べ慣れたカニをレポートするのは本当に難しかった。
毎年食べているカニを食べても「カニだ」としか思わないからである。
面白い発見だ。毎週食レポの仕事をしている火曜サプライズやヒルナンデスのタレントは本当にすごいなあと思った。
改めて自分のボキャブラリーの低さを実感したが、今のところ改善する気はない。
このまま私自身のキャラを突き通していこうと思う。


同じく12月。
今までステージに立ち続けてきた成果が表れる出来事があった。
ステージパフォーマンス力を競う「星槎オリンピッククリエイティブ部門」だ。

うちの高校は日本各地・海外にも展開していて、
年に一度様々な分野で各地の生徒が技を披露する大会が行われる。

(会場の広さ)

観客は2000人。
ワクワクが止まらなかったので、無理を言って司会進行の一部にねじ込んでもらった。
そしてただ人前で歌うのが好きだからという理由だけで歌での出場も決めた。
楽しみだ。
全国の星槎のネットワークに私の名を広めてやるぞ、と自信満々だった。

ところがどっこい。
リハーサルのため前日会場に到着すると、プロのような美声が聞こえてくるではないか。
それだけではなく、他のグループも完成度が高い発表だった。

その瞬間、私は負けを悟った。
なんと、他の出場者は各校で予選を勝ち抜いてきた強者だったのだ。
それどころか私は一度も練習せずに来てしまった。

悔しいが仕方がない。
もう勝つことは絶対ないんだし、どうせなら最高に楽しい日にしてやろう。
あの広いステージを目いっぱいひとりで使ってやろう。
それからは広いステージで動き回る自分だけをワクワクと想像していた。

そして当日。

いつもは緊張しない私も珍しくドキドキしていた。
初めての2000人規模の会場に人が埋まっていく。

そしてついに私の番。
ステージに立った瞬間、緊張していたのが全部吹き飛んだ。
それはきっといつもステージに立たせてもらっていたからで、
なぜかステージ上の方が安心するくらいだった。
心から楽しい、幸せだと何度も思った。

出番も無事に終わり、諦めていた結果発表。
心の内を全部出しきって、きっと今までで一番ありのままでのステージだった。
もはや未練など何もなかった。

「金賞、大川晴菜!」

予想外すぎて言葉が出なかった。
なんと一位を獲ったのだ。

後で知ったのだが、ステージでの堂々とした様子が評価されたらしい。
それは紛れもなく今までの積み重ねがあったからで、
たどたどしい歌を披露していた2年前まではきっとありえなかったことだ。

私はたくさんの人に応援してもらっている。
私は‶ありのままの自分をさらけ出す″ことができるようになったのだ。



《高校3年生 2月》

Juratic周年祭の季節がやってきた。

今年は5周年目。去年と圧倒的に違うのはファンの方の数だ。
この一年でJuraticは人気が倍になったと言っても過言ではない。
500人は入る会場を借りての開催となった。

去年はりかこお姉さんとの実力の差を見せつけられ悔しい思いをしたが、
やっぱり準備だけは苦手のまま。

だが、今年は違った。
私も企画の段階から担当したからだ。

主に当日の流れと、スタッフ一人ひとりのスケジュール制作を任された。
去年と違って他人事ではなくなり、全体を把握している立場なので、本番をイメージしやすい。
さらに、苦手だったステージ進行の準備も代表者やアクターさんにサポートしてもらいつつ完璧にした。

当日、大成功だった。

会場には約500人で超満員。さらにShow Room配信では2700人超。
合計3000人がステージを見てくれたのだ。

とくにこだわった登場シーンは反響がとてもよかった。

準備は大の苦手だが、これだけたくさんの人が喜んでくれることを考えると苦ではない気がした。
さらに3月には東京でも行う。
さらにクオリティの高いステージと時間を提供できるよう、心を込めて用意しようと思う。


《高校3年生 最後の春》

まさに数日前のことを書こうと思う。
私は不登校初期以来の鬱に陥っていた。
原因は様々。

些細なことが積み重なって、耐えられなくなってしまった。
新しい環境に対する不安、人に頼れないプライドの高さ、
個性にあふれる仲間たちへのライバル意識。

自信がなくなって、何もしていなくても涙が止まらない毎日が続いた。

そんなとき、母と話した。
最初は何気ない話だったのだが、気づいたら悩みを口にしていた。
母はいつも私の話を聞き出すのがうまい。今回も助けられてしまった。
話しているうちに、私は4月からのプレッシャーに押しつぶされていることがわかった。

社会人として最低でも〇〇円稼がなければ生きていけない。
いつのまにかそんな風に考えてしまっていた。

そういえば、不登校になったときもそうだった。
決められたことをこなそうとすると苦しくて自分を消したくなる。

でも自分が壊れるくらいなら、やめてしまおう!

そうと決まれば、まずは私の心に合わない「モヤモヤする仕事」を断ることにした。

本心を打ち明けて相談したところ、その人は私を理解してくれた。
「お互いのメリットが合致するところで関わっていこう」
と言ってくれた。
まさに私の理想の仕事像だ。

それから
「私は色んなひとから愛をもらっている」
「私は色んなひとに助けてもらわないと生きていけない」
そんなことを思うようにした。

すると一気に意欲が湧いてきた。
やりたいことが一気にポンポンと出てくるのだ。
初めて嬉し泣きをした。

「私は好きなことをやっていいんだ!」
そう思えて、また自分を好きになれた。

(直後のストーリー)


さて、今日は卒業式だ。
17年間、なんだかんだ私は学生だった。

学校が嫌いな私が選んだ高校。

日本の学校を私なりの最大限で活かせたと思う。

たくさんの数えきれない人に支えられ、

私は私を表現することが出来ているのだ。




4. 結果と考察

「好きな時に好きなことを続けて、生きていけるのか?」
中学校で不登校になってからそんな実験をしてきた私の答えは
「生きていける」 だ。

むしろ、「好きな時に好きなことをやる勇気」こそが、私は大事だと思っている。

好きな時に好きなことをやるとどうなるか?
嫌なことをすべて投げ出してやってみたとしよう。

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まず、苦手なことをはっきり伝えて、やめる。
話は広がり、一部では評判も悪くなるかもしれない。

だが、それが私の上手くいく秘訣だ。
ここでまず、二度と嫌な業務が流れてこなくなる。


必然的に嫌なことをできない環境になるのだ。


そして、その分空いた時間をすべて好きなことに費やすことができる。
つまり、完全に〝好きな時に好きなこと″を実践できている状態だ。


好きなことに対する意欲に限界はない。


たくさんの時間を使って経験と知識を増やし、その道を突き詰めて「プロ」になるのだ。
プロになると仕事がくる。

こうして、生きやすい環境が出来上がるのだ。

好きなことをやっていたら、

いつの間にか、誰かのニーズに応えていた。

私は「仕事」はそうあるべきだと思う。

世界中の人が「好きな時に好きなこと」をしたら
きっとパズルのようにお互いの欠けたところを補い合えるのではないだろうか。
私はそうなることをひっそりと願っている。




5. おわりに

さて、私のことを詳しく知っていただけただろうか。

こんなに今までの活動を強気で語ってきたが、私には将来社会的に上手くいくという保証はない。
だが、私にはずっと私自身からの愛があり、たくさんの人からの愛がある。
絶対になんとかなる。という、根拠のない自信がある。

このレポートを見た人には、これからの私を、遠くからでいいので見守っていてほしい。
失敗したときにはネタにして笑ってほしい。

私の夢はエンターテイナー。
歌も、MCも、自分を表現する手段のひとつに過ぎない。
これからも好きな時に好きなことを突き詰めて、
多彩な分野にチャレンジしようと思う。





6. 謝辞

いままで関わってきたすべての人に感謝します。



閲覧頂きありがとうございました。



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