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永遠のライバルまさこ(80)|やっしげのおうち#2

ここで書くのでは間違いなく事足りないんやが、ひとまず避けては通れないということでやっしげ家の誇る大物「まさこ」について紹介したい。

まさこは、やっしげ姉妹のマインドをつくった張本人である。

まさこを3点に要約すると

①大きな声でしゃべりたおし、ときに小気味よくブラックジョークを飛ばし、持論多めで1分たりとも一つの話題にとどまらない、それは地域の行事でも発揮され、大御所の爺様たちをかもいだいたい場を盛り上げてしまう(かもう=山口弁。からかうの意)

②健康は自分でつくるもんという思想のもと、納豆ブルーベリートーストを楽しみに朝起きてストレッチを入念にし、冬は十二単かというくらい着込んで私達にも上着の着用を命じてきて、夜には息子二人育てたノリで孫娘二人に肉魚野菜てんこもりごはんを作って待ってる

③実はまちで一斉を風靡したオーダーメイドブティックの創業者・デザイナーで、昔から洋服に興味があり、洋裁学校に通った後、反対する父親が入院したタイミングで親友と店を駅前で初め、まちの女性たちが「あの店でつくった服で後悔したものはない」といわしめる、それはすてきな服、奥底に保管された服を現在姉妹が愛用中

要約無理やった(笑)。

今回は①なまさこと私(姉)について書いてみたい。②・③は、もしかしたら妹が書いていくかもしれん。

学校から帰ればトークセッション

私ら姉妹は、ケンジ・ミホと4人で住んでいたが、そのすぐ隣には、まさこの家がある。私が高3のころまでは、よしゆき(新キャラ・私の祖父・まさこの夫、大変へんくうでおもろいのでまた紹介したい)と住んでいた。

そんなやっしげ一族ゾーンは、学校がある地区から子供の足で徒歩50分ほどの山あいだったので、小学生のころはまさこかよしゆきが毎日途中まで車で迎えに来てくれていた。

くねくね道を辿り、まさこよしゆき家に着いて、だいたい16時くらい。

まさこは毎日飲み物とお菓子を進めてくる。ミルクティーとアンパンとか、冬はココアとかきもちとか。わけのわからん組み合わせをなんとも思わず食べていたやっしげ少女。

でも、まさこを前にして、タダで食べられるはずははない。ランドセルを勝手口に脱ぎ捨て、お菓子を食べようと席に着いたら、そう、トークセッションの始まりだ。

別に、私が、トークセッションをしたくしてしているわけではない。

話しているうちにだんだんトークセッション(いや、大討論)になるのだ。

持論の森に討ち入る姉、たちはだかるまさこ

私が穏やかに不思議な組み合わせのティータイムをしている横で、まるでラジオかのようにまさこは勝手に持論を述べてくる。野菜の効用から妹の扱い方、勉強の意味とか、家族観、テレビでそのとき流れてた相撲中継のこと、ちょっと政治のこととかまで。

もし、ティータイムを繰り広げていたのが、妹一人だったら。ラジオを自分の脳内でオフにし、気ままに味わってさっさと隣の家に帰っていっただろう。

でも私は、なにかふっかけられたら反応せずにはいられないタイプ。それでこそ誠実だと小学生のころから思っていた。

そうしてまんまとまさこの持論の森に入ってゆく。そこ、どういう因果関係やねん、いやそこ、めちゃ推測やん。そうやって一本一本切り倒しているつもりなのだが、自分を信じる力という不思議な魔力で、私が切り倒した木を再生させてゆくまさこ。

私は必死になってくらいついたものだ。「それ、おかしいっちゃ、ばあちゃん」。何回言ったかわからない。そして、因果関係がおかしいことを何回も説明するのだ。

まさこはそんなことものともせずに笑っている。たまにわたしのまじめさを手玉に取ってブラックジョークを飛ばしてくる。そして話の端っこにあった違うトピックに悠々と移っていくのだ。

これぞのれんに腕押し。いまっぽくいうと、ベストオブ空気読めないクラッシャー。まじで小学生にも容赦なし。ちいさなやっしげ少女は、やるせない思いに心を痛めたものだった。

信じることと考えることをやめない80歳

中高の6年間も、部活がない&テスト前でない日は、不思議なティータイム兼トークセッションはしれっと開催された。

真っ向から向き合っても無駄だとわかりつつも、どうも性には逆らえず、違和感持ったポイントには全部反応していた。

一方で、だんだん、まさこの凄さも見えてきた。

ここまでの人生を生き抜いて培った、信念というか、悟りというか。そういうものは、静かに湛えていた。私が苦しんだり不安がったりしているときには、決して同情ではなく、意見や考え方を伝授してくれた。

たしかに、いつものトークセッションのまさこは支離滅裂だ。でも、私が忘れた頃に、同じ話題を引っ張ってきて、「あれ、新聞でもみたけどね…」とか「テレビでまたあれしよったけどね…」とか次の動きを繰り出して理解を深めようと(深まってないこともある)していることが多々あった。

そうやって、ちょっとずつ、すべての話題に関心をもって、最初は支離滅裂でも手を付けて、持論をつくり、何度も手を付けてだんだん熟成させていき、価値観とか信念ができあがったんだとおもう。

持論をつくって、信じる力。そして、それを考え続ける力。

実は、そんな力をめちゃくちゃ持ってるのではないか、と最近私は思う。

そしてそれは、見方によっては、横着で、かっこ悪い。けど、それでできあがったのがあの完成形なら、私は、横着でかっこ悪くなりたい。

あぁ、永遠のライバルだ。

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