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幼少期6歳〜

1978年(昭和53年)産まれの私は、昭和っ子。昭和の後半ではあるものの、まだまだ子供の頃は、大人達のご近所付き合いは盛んだったし、毎日公園やら空き地やらでいろんな外遊びを満喫。冒険のような毎日だった。

1年生の3学期に、やっちゃんのご近所から新しい場所に引越しをし、小学校も転校した。新しい学校では、うまく友達ができたかというと、意外にも人見知りな私が、近所に同級生の女の子が4人も住んでいた為、すぐに遊び相手が見つかった。転校生ということで、慣れた頃に一度、仲間外れにされたけれど、そんなに長引くこともなく、すっかり人見知りはなくなり、子供の世界をメキメキひろげ、近所の4人の女の子たちと毎日のように外を駆けずり回って遊んでいた。

私をいれて5人の女の子グループは、クラスの子達に5人組とよばれるほど、毎日よく遊び、学校も1年生から6年生まで1クラスしかなかったので、学校も放課後もよく一緒にいた。

私の子供の頃は、東京でも私たちの住む郊外のほうには、まだまだ空き地がたくさんあった。ススキ林やら、泥が積み上げられている山がいくつもある、泥空き地やら、畑も田んぼもたくさんあったから、ちゃんと整備されていない畑も空き地とかして、私たちの遊び場になっていた。

春には、そこら中にうわっている花の蜜をすったり、夏には田んぼ近くの用水路でザリガニやタニシをたんまりとったり、秋には桑の実やら、グミの実をとって食べたり、山の空き地でひたすら山に穴を掘りまくって、トンネル作ろうとしたり、ススキを結んで、原始時代の家を作ろうとしてみたり・・・、次から次へと遊びのアイディアが浮かび、毎日何をして遊ぶか、考えるのが楽しくて仕方なかった。

小学校も4年生ぐらいになると、ファミリーコンピュータが発売。家でゲームをする子供が増えたけれど、私はやはり外で遊ぶのが好きで、ファミコンそこそこに、すぐ外に出て相変わらず冒険の続きをすることばかりしていた。

今思い返しただけでも、次々に当時やっていた遊びが思い出される。

公園の砂場を底まで掘ったら地球のそこにぶつかるんじゃないか?と言ってひたすら掘ってみたら、コンクリートの底にぶち当たったり、基地作りをあちこちにして、野良猫や、野良犬を基地で飼ってみたり、光GENJIが流行ったときは、ローラースケートをはいて、遊ぶだけじゃ飽き足らず、ほおきをもって住宅中の枯れ葉をローラースケートをはいて掃除をしまくったり・・

天空の城ラピュタがテレビで放送されてからは、録画したVHSのビデオテープが擦り切れるほど、見て、公園でラピュタごっこしてみたり・・

ケセランパサランというフワフワの綿毛みたいな生物がいるって友達間で噂になり、1日中ケセランパサランを探しまくったり・・・

あげだしらきりがない・・・今思い出しても、当時の気持ちが蘇り、次から次へと遊びのアイディアが思い出されて、こんな楽しい毎日を過ごせた環境に感謝でしかない。

5人の女の子グループだったけど、男の子みたいな外遊びを本当によくやったなぁ。そして、毎日学校・放課後と長い時間を共有していたので、喧嘩もよくしたし、仲間外れもしあっていた。それでも、今起きているような長引く問題はなかったし、いつの間にかいつも解決していて、いつも通り楽しく遊ぶ仲だった。

小学生の時に、お友達といろんなコミュニケーションをとれたことも、すごく良い経験になっていたのだと思う。

小学校の話は思い出したら、キリがない。

エピソードも掘り下げたらたくさんあるのだけれど、一つ、今も鮮明におぼえている出来事がある。幼い私にとってはとてもショッキングで、命の大切さを学んだ大切な思い出。これは、明日詳しく綴ることにする。



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