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緩急をつけて

2月はたいへん長く感じたのだったが、3月に入って、この1週間はとても素早く過ぎたような気がしている。今日はあまりここでおしゃべりをするように書きたくない気がするのだが、毎週・月曜のルーティーンを守るために書く。そんなものを読まされるのは苦痛だ、と思う方はこれ以上読まない方がいいかもしれない。──しかし何か書きたいことがあって書くというのは詰まらないところもあり、何が書きたいかわからないで書いて出て来たものこそが面白いという気がぼくはしないでもない。

新型コロナ・ウィルスの騒動が、日に日に混迷を深めている。

図書館、美術館や博物館、公民館などの施設、そして学校は大半が休みになっていて、コンサートやイベント事の多くが中止あるいは延期、ぼくは外出支援の仕事で街へ出てみたりしているが明らかに人は少ない、どこの店の売り上げも程度の差こそあれ減っているだろう。不思議に思うのは、たとえば、街のショッピング・モールは何事もないように開いていて人も入っている(普段より人の数は少ないけれど)。閉じているあそこより、開いているこちらの方が危ないんじゃないかという疑問が浮かぶこともあるが、細かいことはさておき、街全体から活気が失われていることは歩いているとすぐわかる。

3.11の時を思い出す、という話もしていたが、あの時ぼくは被災したわけではなかったし、今回のことは災害ではない。

いろんな情報が飛び交っていて、何が本当で何が嘘か、よくわからないということもあるし、ウィルスそのものの脅威に加え、ウィルスを恐れた人びとの行動が脅威になったり、こういう時には社会の抱える問題がむき出しになりそれも脅威になる。

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自分のことを言うと、日々の仕事は地味に続けつつ、先月出した『アフリカ』最新号の販売をぼちぼちやっている(買いたいとご連絡いただく皆さまの声に励まされつつ!)が、何となく気持ちが重く、連絡しようとしている人にもなかなか連絡できないし、「動けない」という気持ちがまた出てきてしまっている。

鬱というのは、こういう状態がぐーっと深まったものなのかもしれない、と想像もする(違うかもしれない)。

ぼくは、ぼーっとしているのが好きだ。「何かをやりたい人」とうよりは、「何もしたくない人」だと言っていい。そう言うわりにはいろいろやっているじゃないかと言われそうだが、本当は何もしたくない。何もしたくないということをやるためにあれこれやっているというふうにも言ってみたいような気がする(よくわからん?)──それはともかく、いまは何となく停滞の気配が漂って来ている。

こういう時は、目の前のことをひとつ、ひとつやってゆこう。と、ぼくはいつも考えるのだが、考えている時点で出来ていないとも言えるわけで、まぁ、仕方がないね、と思ったり思うだけじゃなくて朝のページ(自分だけの場)で書いて愚痴ったりする。

そこでふと思い出した。先日、ある方から言われた、「緩急をつけて」ということ。

苦しくなったら無理をせず、少し休む。休んだら、少しくらいきつくても、ちょっと手をつけてみる。それでもやっぱり苦しかったら、他のことをやってみたり、また少し休んだりしよう。でも、少し置いたら、また手をつけるだけつけてみるのだ。どこかに、スッと進むポイントがあるかもしれない。

流れ出したら、勢いにのってスーッ! と進むのだ。その感触を忘れるな。

(つづく)

あの大陸とは“あまり”関係がない道草の家のプライベート・プレス『アフリカ』。読む人ひとりひとりの傍にいて、ボソボソ語りかけてくれるような雑誌です(たぶん)。その最新号(vol.30/2020年2月号)、ぼちぼち販売中。

オトナのための文章教室」は、とりあえず春までは横浜のみで開催中。次回は、3/28(土)10時からの約2時間。3月のテーマは、「音を書く」です。参加者、常に募集中。※新型コロナウィルスの感染拡大の状況によっては、どうなるかわからない情勢ですが、とりあえずは開催の方向で検討しています。

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