見出し画像

犬飼愛生『それでもやっぱりドロンゲーム』のライナー・ノーツ②

犬飼愛生の新刊『それでもやっぱりドロンゲーム』の"ライナー・ノーツ"、その②では、具体的にどんなエッセイが収録されているのか、ご紹介してゆきましょう。

今回の本では、2010年代前半を中心に書かれた"当時の近況"を伝えるエッセイを第1部「呪いときらめき」に。

著者の故郷と家族、少女時代のことを書いたエッセイを、第2部「京都と家族」

現在の社会問題(?)を背景に書かれた近作を、第3部「社会とオバサン考」に集めました。

画像1

1 呪いときらめき

「予定の妊娠」 著者が妊娠するにあたってどんな"努力"をしたかを伝えるもの。「基礎体温を測る」ことから始まり、排卵日を過ぎたら市販の薬は飲まないとか、冷えを防ぐとか、そのあたりはまあよくある話なのだが、運動不足を解消しなきゃと言ってスポーツジムに入会したり、枕を積み上げたり、というあたりから徐々に面白いことに(?)なってくる。初出は『アフリカ』第7号(2009年7月)。

「おっぱい日記」 無事に出産を終え、母となった著者に待ち受けていたのは「おっぱい」の悩みで、母乳育児にまつわる、イロイロサマザマな苦労──「鬼気迫る母乳育児」が描かれる「おっぱい日記」「おっぱい日記 卒乳篇」の二部作。母となったひとが何だか元気ないような、力づよいような、不思議な雰囲気に包まれているエッセイで、キャベツ湿布の話や、母乳ダイエットの話、里芋湿布の話など盛りだくさん。初出は『アフリカ』第10号(2010年11月)と『アフリカ』第11号(2011年6月)。

「ちょちちょち あ・わ・わ」 母乳育児をしながら突然、看護師になることを決意した著者の、看護学校受験〜久しぶりの学生時代を書いたもので、「トイレで母乳を搾る受験生」「ここは軍隊やで」の、これも二部作。母となった著者は「子育てだけに生きる母にはなれない」と、さっそく、これから自分がどんなふうに働いてゆくのかと模索を始め、いくつかの出会いから、それまで全く縁のなかった病院の仕事に興味を抱く。必死の思いで受験に臨んだ日々、入学した看護学校での座学と実習のアレコレ。子育てをしながらの学生生活で、とにかく「時間がなかった」という著者の嵐のような日々。初出は『アフリカ』第21号(2013年10月)と『アフリカ』第25号(2015年7月)。

「お母さん業の呪いときらめき」 妊娠、出産、育児と看護学校、再就職という嵐のような時代を通り過ぎてきた著者が、ふと書き記した「お母さん業」にかんするエッセイで、約10年ぶりの詩集『stork mark』を出版する直前に書かれたもの。ちなみに、もともとは今回の本の冒頭に、このエッセイを置こうと話していたこともあった。初出は『アフリカ』第28号(2018年4月)。

2 京都と家族

著者の故郷と家族、少女時代を書いたものを集めた「2」は、『京都新聞』の「季節のエッセー」に連載されたコラムを選りすぐった13篇に、これまでどの詩集にも収録されていなかった詩「指笛とひらがな」(『アフリカ』第11号(2011年6月)に掲載)と、未発表の「ちらし寿司」、2018年にnoteで書かれた「スナック喫茶」を加えた。

「季節のエッセー」からの13篇は、「紫外線」「キャンプ」「いとしい季節」「お犬様の夏」「煌めく」「コーヒー」「憧れ」「キャベツ」「梅酒」「花火」「虫の話」「昔ながら」「結婚式」。これは、書かれた順(掲載順)に。そうやって読むのがよさそう。

これらの短文集は、犬飼愛生のルーツを照らしているように感じられると同時に、ああ、この人は、やっぱりこの人だったんだなあ、とも感じられる、ほのぼのとしたもの。

ちなみに、「ちらし寿司」「スナック喫茶」は、お気に入りに挙げる人が多い人気作。もちろん私も大好き。

3 社会とオバサン考

近作を中心に。この「3」は、現在進行形とも言えるエッセイを集めたセクション。

「私は財布を握っていない」 「フェミニズムについて、思うところを書いてほしい」という依頼を受けて書かれた短文。著者の「社会」に対する考えがズバッと伝わってくると感じて、「3」の冒頭に置いた。初出は『詩と思想』2020年8月号。

「「ゆるさ」の時代──ぜんぶを「感覚の違い」にするのか」 これは10年前のエッセイで、『アフリカ』第12号(2011年10月)が初出。当時の社会における人々のモラルのあり様にイチャモンをつける(?)異色作で、今回は「十年後の追記」として、2021年の日本の政治に対して「怒る」ことについて付け加えています。

「キレイなオバサン、普通のオバサン」 『アフリカ』第29号〜第32号(2019年〜2021年)に連載していたもの。40歳になった著者が、「気持ちは若いまま」だけど「オバサンにはなるだろう」と考えて、「いや待てよ」となる。「私はキレイなオバサンになりたい」──そこから再び、涙ぐましいというか、幸せな笑いに満ちたというのか、何とも言えない味わいの努力の日々が始まる。スポーツジムに入ったり(妊娠するためにスポーツジムに入っていた話もありましたね)、苦手なダンスに挑戦したり。自分の詩集が賞に選ばれて、著者近影が求められるに違いない! と写真撮影に苦戦(?)したり。受賞式のために着るものを模索したり、「背中に生えている毛」や「歯」を何とかしようとしたり。そうこうしていたらコ○ナ禍になり…とにかく波乱万丈の美容エッセイ(?)になっている。いろんな意味で力作。ぜひ読んでほしい。

「百年たっても」 医療従事者としてのコ○ナ禍への感想と、オンライン○○が流行るなかで「百年たっても偶然誰かの本棚にあるかもしれない」ものの可能性を語る小品。初出は日本詩人クラブ『詩界 new generation』93号。

「きらめく夜のこと、そのあとのこと」 『ウェブ・アフリカ』vol.2(2020年6月)のために書かれたエッセイで、2020年3月上旬、大阪・北新地で著者が友人と待ち合わせをするところから始まる。世界的な感染症のパンデミックが起こった最初期の大阪の片隅、その冒頭に現れるのは都会のネズミ! 猛スピードで走り去ってゆくネズミの姿に、いま、何を感じられるだろうか。さて、彼らが向かう先は、いわゆる"ショー・クラブ"、「きらめく夜」と、その後に訪れた2020年の世界的な混乱を鮮やかに記録している。10年後にこれを読んだら、どんなことを思うだろう。

おまけ

本の最後には「あとがき」で、この本がどのようにしてつくられたか、明かしています。最後には、とつい書いてしまったけれど、じつは「あとがき」は本当の最後ではなくて、シークレット・トラックのように詩を収録しています。「あとがき」はなしで、この詩を「あとがき」のかわりに置いておくというのはどうか? という話もあったくらい、このエッセイ集をつくるにあたって重要な詩になりました。タイトルは、「地下トンネル」

画像2

このエッセイ集から、少しだけ抜粋した『それでもやっぱりドロンゲーム【チラ見せ篇】』をウェブ公開しています(無料)。まだの方はぜひご覧ください。

というわけで、詳しくご紹介しました。『それでもやっぱりドロンゲーム』、売っている場所は少ないですけれど、こんな時代です、ウェブショップからご注文いただければサーッとお送りしますので、ぜひお手元に置いて読んでみてくださいね。

『それでもやっぱりドロンゲーム』のライナー・ノーツ②でした。③があるかどうか、ちょっとわかりませんが、また、そのうちに。

ご意見、ご感想、近況など、何でもいつでもお寄せください。返事はなかなかできませんが、時間をかけて何らかの返事はしたいと思って日々、過ごしております。

(つづく)

いつものセリフになりますが、コ○ナ禍と伏せ字にしているのは、いつものように、ただそのことばを出すだけでnoteに注意書きを貼り付けられるのがシャクだから、というそれだけの理由で、です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?