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古沼と共同制作

たまに自分でも呆れる。ぼくはなんて飽きやすい人なんだろうか、と。何をやっても長続きしない。興味をもって手にしたものも、すぐに放り出してしまう。それで、しょうがないから寝転がって、空を眺めているといった調子だ。

行住坐臥(ぎょうじゅうざが)という仏教のことばがあって、ゆくこと、とどまること、すわること、ねること、人間の動作について基本の4つらしい。

先日、散歩のついでに近所の文学館で「花田清輝展」をやっているのを見に行ったら、そのことばについて花田が書いているのがあって、一番好かんのが最初のやつで、一番好きなのがさいごのやつ、と言って(書いて)いたが、ぼくはねるのもゆくのも好きで、とどまるのとすわるのが、言ってみれば性に合ってないような気がした。ゆくのとねるの、とどまるのとすわるのは、何やら似ているような気がして仕方なかった。

花田清輝の本は、ぼくはそんなに読んだことがないが、いろんな人が花田について書いているのをたくさん読んだことがある。まっさきに思い出すのは手元にある『長谷川四郎の自由時間』に「はなたきよてる」という短文集があり、それを読むと、とっても魅力的な人物だなぁと何回読んでも思う。しかし、否定によって肯定する人だとか、仲の良い人とは仲が悪くなってしまうとか、普通に受け取れば厄介な人でもあるなぁ。

それから、もう10年以上前に亡くなったある文芸評論家が、酔っ払ってぼくに「戦後文学のいろんな作品をもちあげてきたが、それは仕事だからで、くだらない作品ばっかりだった。本当に良いと思ったのは小川国夫の『アポロンの島』と花田清輝の『復興期の精神』の二冊だけだ」と言ったので、強烈に印象づけられた(そのときは『復興期の精神』に限らず花田の著作は一冊も読んだことがなかった)。

しかしぼくが花田清輝の名の横に並べて置きたいのは富士正晴で、このふたりは生きているときそんなに会っていたわけではないだろうけど、"小説"やら"評論"やら"エッセイ"やらといった文芸のジャンルにまったく合わないスケールの大きさを感じる、稀有な作家だなぁ。

とはいえふたりとも、いまの人には、そんなに知られていないのではないか。企画展をやって観に来る人がどれくらいいるのか、と心配してもしょうがないがそんな気がする。行ってみると、いつもの企画展に比べてスペースも小さいし、空いたスペースを使って夏目漱石をはじめ絵に描いたようなブンゴウの寄せ集め展をやってお茶を濁していて苦笑いしてしまった。

しかし、生原稿を見る面白さは、やっぱりあった。

「古沼抄」というエッセイは(展示会場で一部を)初めて読んだが、連歌について書かれたもの。例によって図書館で探し出してきて、全文を読んでみた(長い文章ではない、1973年「東京新聞」に二回連載で書かれたものらしい)。

永禄五年(1562年)の3月、三好長慶が連歌の会をひらいていて、誰かが「すすきにまじる芦の一むら」とよんで、一同がつけなやんでいたら長慶が「古沼の浅きかたより野となりて」とつけた、という話を受けて、「かれの生きていた転形期の様相を、はっきりと見きわめていたことを示した」「思うに、時代というものは、そんなふうに徐々に変わって行くものではあるまいか」と書いたあと、芭蕉の「古池や〜」よりこちらの方がスケールが大きいような気がする、それにはこれが連歌の一部であるというのが大きくて──と「共同制作」への考察へとうつってゆく。

どうして現代の文学は、制作をひとりでやろうとするのか?

ひとりでやることには限界がある。いや、ひとりでやる文学はちっちぇ。と、言いたい様子でもあり、ああでもない、こうでもない、とことばを尽くしてくれている。

文学館を出て、山を降りてゆき、中華街に寄ったらえらい人だかりができていて、なになになに? と入ってゆくと、春節のパレードがちょうど始まるところだった。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、2月18日。今日は、"未確認飛行物体"の話。※毎日だいたい朝に更新しています。

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