どう歩いても、道は
今日は午後から夜にかけて、何人にメールしたんだろう、というくらい、メールばかり書いていた。
書きたいから書いているので、書きたくないとか、少し間を置いて書きたいと思えば書かなかったので、今日は書きたかったということなんだろう。
書きたいと思っているのに書けないということもある。でも、それって、じつは書きたくなかった(その時は、ね)ということなんじゃないかと思うことにしている。
たくさんの人とかかわることが、よいこと、というふうに、ぼくにはあまり思えなくて、深くかかわることができる1人、2人と出合えることの方がずっと大事じゃないか、と思っている。
だから、だろうか、この人に話したい、伝えたい、という人はいつでも、視野に入っているのだ。
ただ最近は、それでも人数が増えてきており、あの人にも、この人にも、と欲が出てきてしまっているかもしれない。悪いことではないような気もするが、どうだろう。
SNSで実況中継をしているような人の気持ちは、ちょっと自分にはわからない。できれば、放っておいてほしいような人だから。
しかしその根底には、寂しさがあるのかもしれない。
寂しさを、そのまま置いておけるなら、いいのだ。置いておけないと、あっちを突っつき、こっちを突っつき、としてしまう。それを続けていれば、いつか破れてしまう。
破れる前に、つなげておこう、と思う。
ちなみに、メールばかり書いているのは、その背景に『アフリカ』次号があるからであって、この先に道はちゃんと続いている。
どう歩いても、道はできるのだ、と思うと、少し気が楽になりますね。
(つづく)
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