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「どうやって生きてゆこう?」に応えるもの

愛することは個人的な経験であり、自分で経験する以外にそれを経験する方法はない。(エーリッヒ・フロム)

6月になりました。先日の『アフリカ』最新号の話はちょっと力を入れて準備して書いたのですけど、今日はいつものようにざーっと書きます。行き当たりばったりで。

昨年の7月から書かせてもらっている「水牛のように」の連載「『アフリカ』を続けて」も、今月(6月)号で12回目、1年巡ってきました。

今月は先々月、先月に引き続いて、『モグとユウヒの冒険』と著者・井川拓のことについて書いています。上・中・下の「下」というつもりで、いったんはこれでしめて、来月からは再び『アフリカ』のことや、個人的に雑誌をつくること、その中で書いたり読んだり、話し合ったりすることについて書いてゆく予定ですが、まずは今月号。
著者の死について言及しているせいか、いつもになく書き上げるのに時間がかかってしまい、出した後も自信がありませんでしたが、ちょっと自信ないくらいが読む人の反応は良いかもしれませんね。だいたいそうです。

その『モグとユウヒの冒険』のことは、少し時間を置いて、ここ(note)でもあらためてじっくり書こうと思っています。

私はといえば、いつものことながら本を仕上げた後はちょっと落ち込むというか、調子を崩すようなこともありましたけど、ここでちょっと変化をつけてゆこうと考えて、久しぶりに映画館に通ったり、読めなかった長い本をじっくり読んだり、アレコレしているうちに1ヶ月がざーっと過ぎました。

不安を数えたらエンドレスになります。

生活を保障してくれるような職に就いていない状態で、どこまでやれるかと思ったのが2009年の秋でしたから、気づけば、今年の秋でもう13年! 意外と何とかなってるとか言いたいところですけど、死ななければ何でもOK、自分を裏切るようなことをしなければなお良し、としているので大丈夫なんです。多少のことではへこたれない。結婚して、子が生まれたあたりから少々複雑にはなりましたけど、ベースとなっている考え方は変わらない。

ただ世間は、あの当時の自分が思っていた以上に冷たいですね。うまくやってゆくにはまだまだ、たくさん工夫しなければならないことがある。でもね、死んだらそんなの何にもならないので、もっと根源的な「生きる」とはどういうことかをやった方が子供たちには残せる。ここは断言したいところです。自分が死ぬまでのことだけを考えて生きている人の仕事というのは間違いなく腐りやすい。

ただ自分も死ぬときにはあっさり死ぬだけでしょう、それがいつなのか、何十年も後なのか、あるいは来週なのか、そんなことは誰にもわからない。そこで、いつ死んでもいいように悔いなく生きようなんて軽々しく言いたくもない。私は悔いだらけで、ぶつくさ言いながら死んでゆくのでいい。それだけいろいろあった証拠にもなるでしょうから。何もない人生だったら悔いも見つからんでしょう。多少は情けなかったり恥ずかしかったりするところのある方が人間らしいかもしれない。──などと言いつつ、私はいつ死んでも、生きてきてよかったな、と言って死にそうな気もします。ある程度は、嫌なことは嫌だ、と言って生きてこられたので。そうしてこなかった人にはサッパリわからないでしょうけど。

そうできた理由のひとつは、自分にとっては吃音があり、嫌なことを嫌だと言わずに強行突破しようとしていた20代の頃、4年周期くらいで吃音さんが強固になって私の喉を塞ぎ、どうだ、まいったか! とやられたからであり、ははあ、(強行突破しようとするのは)もういいかな、諦めて自分の思うままにゆこう、となりました。他人からはバカみたいに見えるかもしれないが、と。

だからここで自分はいま一度、吃音のことに舞い戻ってそのことをじっくり書いておきたい。それ以降、「どうやって生きてゆこう?」が自分にとってどんどん大きくなったのだから。そうなると若い頃から継続してきた個人的な文学の仕事も、「どうやって生きてゆこう?」に応えるものになる。

それが単にいま世間的に使われている表現をなぞる程度のものにしかならないのか、あるいは、それを超えてゆける表現、もしくは全然別の道を辿るのか、自分でも相変わらずよくわかりませんけど、書いている自分にとってわからないこと、自分に危険が及ぶようなところに書く中であえて飛び込んでゆく勇気をいま再び持とうとしています。

(つづく)


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