見出し画像

ワーカーホリックなわたし その2

前回、会社をお休みするまでの会社と自分の状況について書きました。前回の記事はこちら。

今日はその続きです。
「仕事をなんとかしなければ」の呪いにかかっていたころ、職場は敵ばかりだと思っていたし、夜は眠れなくなってきていて、それによって体調がどんどん崩れていきました。いつもバタンキューで寝るのが特技だったのに。疲れてても寝れないんですよね。

残業時間が多すぎるので、産業医との面談の連絡がきましたが、面談する時間がもったいなくて何度も無視していました。無視を続けていると、さすがに上司に連絡がいったので、しょうがなく面談しました。もー!時間がないのに!と思いながら。

その面談で産業医に「職場の上司に相談できないですか?」と言われました。その頃の私には上司が敵に見えているので、「無理です、きっと繁忙期は終わるはずなので、様子をみたいです。」と伝えました。数ヶ月様子を見ても、状況は改善しないことはわかっていました。何度となく、結論を出さずに先延ばししていました。

ある日、会社に出社する日がありました。家を時間通りに出れず、遅刻するのはわかっていたのですが、どうしても遅刻の連絡を上司にする気が起きない。通勤途中で上司から電話がかかってきたのも、無視しました。とにかく喋りたくなかった。会社に着いてもテレワーク中の上司の連絡を無視していたら、他の人を通じて連絡がありました。他の人に迷惑がかかるので、しょうがなく電話をかけました。当然、向こうはわたしが電話に出ないのでお怒りモード。
私「体調が悪くて連絡できませんでした、すみません」
上司「体調が悪くても連絡できるでしょう?本当に体調が悪かったんですか?嘘ついてませんか?」
このやり取りで、完全に私の中の何かが壊れました。「それもこれも誰のせいだと思っているんだ!」と怒りをぶつけたかったのですが、周りに人がいたのでぐっと飲み込みました。もうそのあとは何を言われても返事をする気力も失せ、無言で電話を切りました。そしてふと気づきました。テレワークなんだから、わざわざ嫌な思いして電話するくらいなら、すべてメールでやり取りして、直接会話はしないようにしようと。そうすれば今の状況を何とかやり過ごせるのではないか、と。

私は怒りも嫌なことも、ある程度まで我慢できます。でも、そろそろ私の怒りも疲れも最終局面を迎えて我慢の限界が近づいています。産業医に連絡して深夜残業禁止令を出してもらいました。その状況を伝えても、上司は「チームメンバーには必要があれば話す。」と言って、結局誰にも伝えてもらえませんでした。こっそり自分で伝えて、業務調整も全部自分でしていました。深夜残業禁止令は、忙しい私の業務をさらに逼迫させるだけでした。

そして八方塞がりのわたしは、「仕事を何とかしなければ」の呪いがどんどん強くなります。その頃、天海玉紀先生が「自分の会社じゃないんだから、そこまでしなくていいんだよ」と何度も諭してくださったけれど、すんなり受け入れられなかった。目標にむかって頑張る、何としてでもやる。をやりすぎた私は、力を抜くことを忘れてしまった。他の考え方や生き方を考える柔軟性を、失っていました。でも、何度も何度も言われることで、私の中に言葉としては印象づけられていきます。

そしてその頃、産業医に心療内科を受診してください。と言われて、一応予約を取りました。行ったらどうなるのか、という先のことなんか考えられず、とりあえず身一つでいけばいいんだろうと、ぼんやり考えていました。産業医に報告するために行く、という仕事の延長線上の義務感のような感覚で病院に向かいました。

その3のエピソードはこちらから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?