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ワーカーホリックなわたし その1

わたしは2021年の夏頃からOLの仕事をお休みしています。今は元気が戻ってきたので、メールや対面鑑定を行っていますが、一時期はずーっと寝込んでいて、ベットと友達状態でした。「元気になる日はやってくるのかしら?社会復帰できるかな?」と不安な日々も続きました。仕事を休むことになった原因は、働きすぎと上司と合わなかったことです。

新卒では地元の石川県の工場に入社しました。その会社の新卒は珍しく、先輩も忙しかったせいもあり、最初はエクセルやアクセスの本を読んだりして過ごす日も多かったです。暇な時間が苦手なので、早くバリバリ仕事したいな〜と思っていました。社内で経理に異動になり、そこからわたしの経理人生が始まりました。簿記など全くやったことがなく、最初は四苦八苦しました。

2015年から神奈川県の会社に出向しました。そこは不夜城と噂される会社です。工場勤務の時代は深夜残業が禁止でしたが、不夜城は違いました。「何がなんでも納期までに仕上げろ!」という体育会系です。「仕事が一番」という文化で、決算、予算期はインフルエンザでも忌引きでも穴をあけることは許されず、パソコンを家に持って帰って仕事をする文化でした。当時のわたしの会社の机の中には、胃薬・整腸剤・解熱鎮痛剤・OS-1を常備し、体調不良でも用事でも繁忙期は休めない日々が何年も続きました。夜は当然終電がなくなったらタクシーで帰るか、始発まで待つことになります。最初はそんな生活がすごく嫌で、転職サイトに登録して面接とか行っていたはずなのに、いつの間にかそんな生活がわたしの日常になっていました。慣れって怖い。

2020年のコロナウィルスが流行してからは、基本的にテレワークに切り替わりました。しかし、不夜城の仕事の仕方は変わりません。むしろテレワークのゴタゴタで悪化しました。家が不夜城と化し、何度、朝方のカラスの声を聞いたことか・・・・。そんな生活をしていると、深夜に本当に眠くて仮眠を取りたい時もあります。ベットで寝たら絶対に起きれないので、床に何もひかずに寝ていました。床だと身体が痛くなって自動的に目覚めるから寝過ごさない。なんていいアイディアだ!と本気で思っていました。そして週末やGWなども、どんどん仕事に染まっていきました。

テレワークになってから上司が変わって、色んなものがわたしに降りかかってくるようになりました。打ち合わせで後ろから刺されたり、理解しあえない時期も続きます。そんな環境の中で、チームメンバーも辞めてさらに忙しくなりました。わたしにとっては、とても悲しいし寂しかった出来事だったけれど、そんな気持ちを出す暇もありませんでした。残業時間は36協定に引っかからないギリギリを計算して、全てを勤怠の締め日の次の日に回す、自転車操業を何ヶ月か繰り返していました。もうこうなってくると、余裕がとにかくなかった。余裕があるときにはできてた先回りや配慮も全くできなくなるし、単純にミスもするし、それを上司に指摘されるっていう悪循環に陥っていました。仕事中は、誰もわたしのことわかってくれる人なんていない!みんな敵だ!と本気で思っていました。だから部内の人に相談もできなかった。相談しても、告げ口されて吊し上げられるに違いない。みたいに悪いことしか考えられなかった。もう頭も身体も疲れてぐちゃぐちゃでした。

その時期、天海玉紀先生のインナーチャイルドカードの読み会や夏瀬杏子先生のタロット練習会は毎月出ていました。練習会は気持ちの逃げ場になっていたと思います。その当時の自分は当然、「仕事を何とかしなきゃいけない」の呪いに囚われています。練習会ではいろんな人がいろんなアドバイスくれるのに、頭が凝り固まってて、何度も同じことを言われたり。視野が狭くなりすぎてて、「でも、でも・・・」みたいな気持ちになっちゃうんですよね。自分のそれまでの生き方にないアドバイスは、受け入れるのに時間がかかります。でも、その当時のアドバイスは今振り返るとその通りだし、そのアドバイスが頭の隅っこに残っていて、ようやく自分の中で腑に落ちるときが訪れます。だからこそ視野が狭くなっちゃったり、つらいと感じたり、違和感があるときこそ、誰かに話した方が絶対いい。と思います。

その2はこちら。


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