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人間であることの、絶望と希望。

『夜と霧』という本を読みまして。

1942年から、1945年。
三年間をドイツの強制収容所で過ごした
心理学者であり、精神科医である
ヴィクトール・E・フランクルが書いた本。

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「言語を絶する感動」って言われているロングセラーなんだけど、

うん、確かに・・・

【言葉にならない】複雑な読後感でした。

それって、
どこまで人間が人間に対して残虐になれるのか、という
絶望感でもあり、
どこまで人間が人間として自分の尊厳を保てるのか、という
希望でもあり。

どこまでいっても、
ハッキリと「人間とはこうである」とは言えない。

聖者と悪魔がいるのではなくて、
聖者である部分と悪魔である部分が同居しているのが
人間なんだろうなと。

それでも、

人間の中の残酷性が自分に向けられた時ですら、
その奥にある良心に向かって祈れる人間も
その地獄絵図の中には確かに存在していて

自分だったら、どう在りたいだろうか?
と考えさせられる本でした。

泣けたのは、
愛する人を思い浮かべて
その彼女と心の中で会話するシーン。

過酷な労働で身も心もボロボロになっているのに、
愛に救われる、とは何か、ということを
心底分かった瞬間だったという。

たとえ、愛する人が
もう死んでいたとしても。

極限状態での特殊な状態、なのかもしれないけど、
たとえ肉体が失われていたとしても
愛する人の安らぎになることができる、というのは
いいな、と思う。

「なぜ生きるか」を知っている者は、
ほとんど、あらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだ。

本の中で、ニーチェの言葉が紹介されていて。

生きることに、意味を見出すのかどうか?
って、人それぞれで
考えたこともない、人も多いかもしれないけれど

生きる意味ってなんなんだろう
生まれたから、ただ生きているだけ、
じゃないのかな?

どうして生きる意味が欲しくなるんだろう・・・

と長年考えてきた私としては

「いかに生きるのか、に耐えるために
なぜ生きるのか、を設置するのだ」

というのがしっくりきます。

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