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楽しかった本づくり

一昨年の秋11月半ばに開始した、私の人生初めての執筆活動

日記も書いたことないし、筆不精で年賀状もだいぶ前に止めちゃったし

学生時代、作文や感想文で賞状なんかもらったこと一度もないし

熱しやすくて冷めやすい、三日坊主だし・・・

なんでそんな自分が本を書こうと思ったのか、最後まで書ききれると思ったのか、今思い返すと謎過ぎて、空恐ろしい(;'∀')

なんだったのかな?あのパワー。

とにかくいきなりスイッチ入ってエンジン全開。

年末年始、繁忙期の酒屋のパートをこなしながら、家事しながら、ひと月半でとりあえず全部いちおう書ききって。

でも、実際にはその後、推敲、改稿に同じくらい時間がかかり、何度も読みなおしては書き直し、書き足したり削ったり・・・

何も余計なこと考えず、書きたいこと好きに自由に書いていた時の方がずっと楽しくて楽ちんで。

何に対しても詰めの甘い適当な私にとっては原稿の書き直し、仕上げ作業の方がずっと大変な作業でした。

ホントに本にするんだから、知らない人も読むんだから、刷り上がったら最後、もう手直しできないんだから。

その時になって、やっとことの重大さに気づかされ、息子に読ませ、友達に読ませ、会う人会う人いろんな人に原稿押し付け、目を通してもらっては、いろんなダメ出しくらいながら、少しでも読みやすく、読者の方に最後まで読んでもらえるような文章に仕上げようと、その時は結構必死に頑張りました。

編集者の方が送って下さった「編集ご提案書」はとってもソフトで婉曲で、細かい指示など何もなく、私の好きに書かせていただけたことにはとっても感謝。でもホントに好きに書いてイイんだ・・・それにも結構驚きました。

誤字脱字、表記の乱れや誤りなどは校正の方がきっちりやって下さって、こちらもたっぷり時間をかけて修正作業は私がやって。

これは全部丸投げしたかった作業ですが、原稿は著者の私しかイジっちゃいけないということも、その時初めて知りました。

今は、娘からもらった最新ノートパソコンで、ストレスなくブログにノート楽しんでますが、原稿執筆してた時は、少々難ありのデスクトップを使ってて、パソコンのご機嫌をとりながら、だましだまし付き合うのが一番の悩み事で困りごと。

Wordはなんとかできたけど、USBの使い方も知らなくて、娘に教わったもののなんだかちっとも信用できず、心配だから3つのUSBに保存して、紙にもいちいちプリントして、スマホにも原稿送って、何重にも保険をかけて原稿が消えちゃわないように祈る思いで書きためて。

だから、お正月明けの1月6日に原稿をUSBで編集者に送った時の安堵感、達成感、今でも忘れず覚えています!(^^)!

本のカバーは娘の担当。

ママの顔を真ん中に描いて、遺影にみたてて周囲には花を飾りましょう。

という編集者のアイデアで、カワイイ表紙に仕上げてもらって大満足。

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そして、本の帯は編集者にお任せしたら

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嬉しい帯にして下さって。

長い人生の中、5か月という短い期間ではありましたが、

新鮮で濃密で、ドキドキでワクワクの

忘れられない楽しい時となりました(^^♪


4月にはほぼ出来上がり、7月の出版を待つ間にどんどんコロナ禍悪化してとうとう初の緊急事態宣言発令。

いろんな意味で、夢か誠か、実感が伴わない、不安で落ち着かない日々をやり過ごすため、今度はブログやnoteを書くことで気を紛らせて、なんとか無事に出版の日を迎えることが出来ました。


60個の四字熟語で綴った私のエッセーの最後は

「行雲流水」 ケセラセラ〜なるようになる

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書こうと思って書けるものではない。

飽きっぽくって日記さえ書いたことがない私が、このひと月半、腰を痛くしながら、目をしょぼつかせながら、ひたすら書いたのは自分でも驚きだ。

それを可能にしたのは、目に見えない何かの力、どうしても書きたいという気持ち。

愛、感謝、喜び、怒り、諦め、悲しみ、怖れ、迷い

これらの強い感情から沸き起こった力が私に書かせてくれた。

大きな力の前に

損得勘定、躊躇、羞恥心

そんなものが入り込む余地はない。

私がよく使う言葉

「仕方ない、私が決めたんじゃないから仕方ない。ふざけているわけじゃないから。どうしようもないからだから」

この本を書くことが今の私に定められた宿題だったように思う。

いつもギリギリにならないと出来ない私にしては、よくやったと自分をほめたい。宿題忘れしないで良かった。

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次のnoteでは来週から始まる

幻冬舎秋のブックフェア」

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等のいろいろなプロモーション活動について書きたいと思います。





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