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OKAMOTO’Sが音楽業界の10年を見てきた特権 -ハマ・オカモト対談2/4

※2020年4月掲載記事(2020年2月下旬に実施されたインタビューを元に構成されています。)

明日4月15日(水)に、デビューからの足跡が詰まったベストアルバム『10’S BEST』を発売するOKAMOTO’S。今回はアルバムの話を通して、バンドとして音楽業界の10年間を生きてきて得たものを聞いた。

ーーぴんこ:
OKAMOTO’Sのベストアルバムが発売されますね。ぜひアルバムのお話も詳しく聞きたいんですけど。

ハマ:
いわゆるベスト盤なんで、この10年、お客さんというか、受け取り手側の内部事情通具合っていうのも変わりまして。「ベスト盤を出すっていうことは事務所との契約が終わるってことだよね」っていうことをファンの方々が平気で言うようになって(笑)。

一同:
(笑)。

ハマ:
もうルールをわかってきちゃってるから結局。結果論で見るとそういうアーティストが多いじゃないですか。でも、うちは本当にそうじゃないんですよ。単純に節目っていうので提案されて。ただ、今お話しした通り「どうせ契約切られるんだって言われますよ」みたいな話になり(笑)。うちはもうアルバム8枚出してて、最初の1年半で3枚も出しちゃってるんで、結構な量なんですよね。で、とはいえもうベスト盤なんて、今ストリーミングでいう「はじめてのOKAMOTOʼS」とか聴きゃいい話なんでってなっちゃうから(笑)。

ーーぴんこ:
「はじめての〇〇」、あるあるある(笑)。

ハマ:
だから何のためにお金払って買うのって、普通に考えなきゃいけないので。まぁ2枚組なんですけど、1枚目はファン投票。だから全曲ポチッとできるようなサイトを作って、1人5曲まで選べる。で、何ヶ月か集計した結果を見て、特に曲順をいじったりすることなく入れました。2枚目は、CMとかタイアップとかやらせていただいて、盤になっていないのが結構あるんですよ。いわゆる配信だけの曲とかがあるんで、そういうものとか。あとアルバムを録ったときに、録り終えてミックスもしたけど最終的に入れなくなった、誰も聴いたことがない曲が山のようにあって。だからB面はそういう、僕ら主体で選んだ日の目を見ていない曲。それだったら自分が加担した意味もあるし、欲しがってくれる理由にもなるかなって。いわゆる完全生産限定版があるんですけど、それは2014年までのシングルCDとして出した曲を、出した順にレコードにして、レコードも付けます。アーリーヒット集みたいなアナログと、あとは武道館やったんで武道館のBlu-rayが付きます。本当にこれまでのベスト盤って感じですかね。だからそこもファンに頼ったっていう感じですけど。でもそうしないと、サブスクとかでいいやってなるじゃないですか。自分でプレイリスト組めちゃうし。だったらちゃんと意味のあるベストアルバムにしたほうがいいかなって思って。楽しかったですよ、ジャケットもデビュー当初のものにしようとか。新曲ではなく既存曲で構成していくんで、純粋に楽しんで作れましたね。

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ーーぴんこ:
なるほど、エディトリアルな部分で。楽しみですね〜。個人的にOKAMOTO’Sの10年として聞きたかったのは、周囲からするとすごく順調な10年だったように見えるんですね。波とかあったかもしれないですけど、その中で一番しんどい時期ってどのくらいの時期だったのかなって。

ハマ:
それは、僕らのバンドの話であるのは、フェスやライブ巡業みたいなワンマンじゃない形式のとき。見本市みたいなときって、不特定多数のお客さんがいるじゃないですか。3〜5年くらい前、第何次だかの四つ打ちブームがきたんですよね。どのステージでもドッチドッチっていう音しか聞こえないっていう。僕らはあぁいう音楽をやっているんでそれが通じないのはいいんですけど、フェスみたいなところって盛り上がっている他人を見て盛り上がるみたいな伝染していくところがあるんで、やっぱり四つ打ちは流行ってるから嫌だとかじゃなく、「音楽やっている者として流行りものとして取り入れるべきなんじゃないか」「いや、やっちゃうと……」っていう論争が起きてたんですよ。だから物凄い断腸の思いで、そういう風にシフトして出ていった年があるんです。でもそれを僕らは結構なカロリーでやったつもりが、新譜リリースのインタビューのときに「いや〜、今回も変わらないOKAMOTOʼSで」みたいなことを言われて。じゃあ俺らって何なんだろう、どういう風に思われてるんだろうって。全然違うものを出したつもりなのに、いつも通りってヤベェなって思って。いよいよ自分たちのことがわからなくなったのが、2013〜2015年くらいですね。振り切ったとしても、振り切ったと見られない。かといって、物凄いでかいステージを任されているでかいバンドでもないから。どこが売りなんですかとか言われると本当にわからない。「バンドです」みたいな。それこそTHE BAWDIESとかは50年代60年代とかの音楽っていうわかりやすいものがあったんですけど、僕らのバンドは俯瞰したときに「あ、わかりづらいな……」って。何でもできちゃう技術力もある程度あるんですけど、器用貧乏みたいにはなりたくないし。ソウルシンガーみたいなボーカルでもないとか。どこをどうやっていこうねって。そういうのはいまだにありますけど、そのへんの3年はしんどかったですね。

ーーぴんこ:
確かにそのへんの時期は、フェスブームでしたよね。だから初めての人が聴く機会としてはいいかもしれないけど、四つ打ちとかお客さんがフェスに期待してるものが確実にあって、それに応えてる、応えていないみたいな、ちょっとしたルールがある感じもしました。だからそれに乗るか反るかみたいなところはありますよね。

ハマ:
海外流れのフジロックとかなら、ステージで分けられてたりとか、こういう音楽は好きだし、こういう音楽は初めてっていう引き出しがあるんですけど、日本のムーブメント的なフェスってそういうのはなかったんで、わからなかったらいわゆる「地蔵」みたいなのは、なかなかきついものがあったなって。最近は雪解けみたいにはなってきたなとは思いますけど。

ーーぴんこ:
フェスの種類も増えましたけど、お客さんもそれこそ民度全体が上がっている気がしてて、いろんなジャンルを聴けるようになっている気がしますけど。あの時期は、それで売れる人とかも出てきたんですもんね。

ハマ:
だから冗談じゃなく、やっぱりドリフターズみたいにやった方がいいんじゃないかとか。もうそのくらいしないとみんなわからないんじゃないかなって(笑)。コミック的なのもすごく人気になったのであの年は。今こそ楽しいみたいな演目やってますけど、当時は出てきたら怖い感じだったから。ありましたよ、やっぱり僕らなりにも。

ーーぴんこ:
そのしんどい時期はどうやって脱したんですか?

ハマ:
新しくやってみて変わらずだったんで、寄せる必要はないというか、もう逆にやりたいことに振り切りましたね。CD1枚がひとつの話になっているっていうアルバムを作ったんですけど、原点回帰で。それやってるときに、たしかSuchmosとか出てきたんですよね。で、聴かれ方が変わっていくというか、邦楽の。だからずっとこの音楽業界にいることによって、変わっていく景色を見てた特権はあったんですよ。

ーーぴんこ:
変わる瞬間をまざまざと見ることができたという。

ハマ:
当時みんながインタビューで言ってたことを読んでたって、周りの人たちにすごく言われるんですよ。俺たち「四つ打ちやってる奴らみんな辞めろ」とかめっちゃ言ってたから(笑)。「読んでた読んでた」とか言われたから、意味はあったのかなと今になっては思いますね。

ーーぴんこ:
怖すぎるでしょそのバンド(笑)。でも苦悩の月日にも意味があったってことですね。

順調に見えた10年のなかで、自分たちが進む方向に迷ったときもあった。しかし業界の変遷に流されずに原点であることを選び続け、今やOKAMOTO’Sというバンドの立ち位置を確立するまでに至った。それは間違いなく、OKAMOTO’Sがブレない10年を生きてきたからこそだろう。

<第3回に続く>

ベストアルバム「10’S BEST」
OKAMOTOʼSのデビュー10周年を記念したベスト盤。収録内容はファン投票などによって決定。これまでのバンドの軌跡が詰まったアルバムだ。

BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト“とはなんだったのか?』
ハマ・オカモトの10年の活動を年譜でまとめたうえ、ロングインタビューによって、その歩みをひもといていく。

スタイリスト:TEPPEI
スタイリストアシスタント:守田圭佑
ヘアーメイク:藤井陽子

撮影:岡祐介

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