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2度目の東京五輪で蘇った渋谷川。進化する渋谷・原宿エリアに目が離せない

今回の歴史散策は原宿のキャットストリートからスタート。表参道・原宿エリアの地域情報サイト「おもてサンド」のディレクター・まあやさん、歴史ページ担当の重久直子さんと歴史を巡る旅にでた。

表参道を脇に入ると、くねくねと入り組んだ「キャットストリート」が続く。個性的なショップや飲食店が並んでおり、表参道とはまた違った雰囲気だ。今ではすっかり洗練された通りとなっているが、実はこの道、古くは川が流れていたという。

今回はそんなキャットストリートの歴史を、表参道・原宿エリアの地域情報サイト「おもてサンド」(現在は更新終了。SNSに移行)のディレクター・まあやさん、歴史ページを担当していたライターの重久直子さんと一緒に訪ねた。

キャットストリートの下にあるものは…

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まず訪れたのは、神宮前交番の真向かいにあるキャットストリートの入口。石畳がおしゃれな遊歩道の脇に、ひっそりと石像が立っていた。

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「これは、以前ここに架かっていた『参道橋』の石柱です。実は今もまだ、この道路の下には川が流れているんですよ」とまあやさん。

キャットストリートの正式名称は、「旧渋谷川遊歩道路」。多くの人が行き交うストリートの足元には、渋谷川の支流である「穏田川(おんでんがわ)」が流れているのだそう。

「古くからこのあたりは湧き水が豊富で、日当たりも良く、縄文時代から人が住んでいたともいわれています。渋谷の“谷”を形づくったこれらの川は、いわば渋谷のお母さん的存在なんです。でも、1964年の東京オリンピックを前に、川は暗渠(あんきょ)にされて見えなくなってしまいました」

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と重久さん。なるほど。自然の川をコンクリートで覆っているから、明治神宮に向かって真っ直ぐ伸びる表参道とは対照的に、キャットストリートは曲がりくねった道になっているのだと納得した。

精米や学校のプールも湧き水でまかなっていた原宿・表参道

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キャットストリートをさらに進んでいくと、「穏田橋」と書かれた石柱が残っていた。

「このあたりは昔、“穏田”という地名で、少し前までは昔ながらの商店街が広がっていました。古くは精米業が盛んだったといわれていて、神宮前交番に当時の様子を描いた有名な絵が残っています」

と、まあやさんに促されて辿り着いたのは表参道ヒルズの近くにある神宮前交番。

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あ、この浮世絵、どこかで見たことがある!という人もいただろう。そう、これは葛飾北斎の『富嶽三十六景』のひとつで、『穏田の水車』というタイトルの浮世絵だ。

「豊富な水を動力に、水車で米をついたり粉を引いたりする風景がこの辺りでは見られたようです。表参道ヒルズ裏にある神宮前小学校には、水車のレプリカが今も残っています。同小も昭和初期には湧き水が豊富に出ていたため、プールにも湧き水を使っていたそうですよ」

とまあやさん。プールで使える水とは、よほどきれいな水だったのだろう。参宮橋あたりにも穏田川と同じく渋谷川の支流である『河骨川』があり、そこは唱歌『春の小川』のモデルとなった川だそうだ。

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河骨川周辺の様子。牧歌的な風景が広がっていた

ドブ川だった渋谷川に、子供達の遊ぶ姿が戻ってきた!

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渋谷川の再生イメージ/出典:東京急行電鉄株式会社

数年前までは、かつて清流だった面影は消えドブ川と化してしまっていた渋谷川。だが現在は、官民で連携した再生プロジェクトの成果が現れてきている。9月に渋谷ストリームがオープンし、清流復活水を活用した「壁泉」により川は再生。川沿いに「新しい遊歩道」も誕生した。かつてはどんよりしていて人が寄り付かなかった渋谷川沿いに、子供達の笑い声が戻ってきた。

1964年の東京オリンピック・パラリンピックを境に姿を消した渋谷川とその支流たち。奇しくも2020年の東京オリンピック・パラリンピックを目前に、かつての清流が蘇るのはなんとも印象的で喜ばしいことである。

秋には渋谷スクランブルスクエアの開業も控え、目覚ましい変化を遂げる渋谷・原宿・表参道エリア。

かつては水車の向こうに富士山を臨む美しい景色が広がっていたこと、キャットストリートの下に潜む川の側で子供達が遊んでいたこと、そんな情景を想像しながら街を歩いてみるのも楽しそうだ。

【取材協力】
・おもてサンド
おもてサンドFacebook

【参考資料】
渋谷川・古川の河川再生-東京都建設局
SHIBUYAの未来はこう変わる!?渋谷再開発情報サイト

撮影=澤田聖司

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