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『夏、半分になる』

 八月十日の午後、私は父の運転する車に揺られて遠方の墓参りに向かっていた。
 父方の実家は、住む家から車で三時間程を要する片田舎の港にある。
 透明な水に薄い緑色のヴェールを張ったような海が、軽やかな空と共に遥か向こうへ広がっている。水平線を境目に、世界が半分に割れているようだった。
 夏休みの時期になると、故人を偲ぶ我々一家とは対照的に、夏のレジャーを楽しみに足を運ぶ人がそこかしこに現れる。
 郡に入れば道路は片側一車線のみで、山道で追い越しが禁止されている場所も多い。例年、運転に慣れないレンタカーやスピードを出せない大型トラックが道を塞いでいるところを見かける。
 そんなよそ者の波を逃れるために、少し早く盆の墓参りに出向いたのだ。
 都会よりも高い空の上で太陽が私のことを見守っていた。
 花を挿し、水を掛け、線香を上げ、手を合わせる。この墓に誰が入っているのかはほとんど分かっていない。「故人を偲ぶ」とは言ったが、実のところ墓石に異常が無いか確認しに来ているだけである。信心深さとかそういったものは、一家揃ってあまり持ち合わせていなかった。
 墓参りを終え、父と母は古い知り合いの家に挨拶に行った。白い車に寄り付く無数の虻を手で払いながら、私は一人車に乗り込んだ。
 山奥の自然に囲まれた田舎の虫は、節くれ立った私の親指のようにひと際大きく育っている。艶やかな虫が喧しい羽音を立てながらそこら中を跳び、あるいは飛んでいた。
 そんな夏の音を突き破るかのように、車のラジオから鐘を打つような金属音が鳴った。
 夏の甲子園第一回戦、『明豊高校(大分)』対『北海高校(南北海道)』の試合だった。
 どちらのチームにも特に思い入れは無かった。しかしこういう時は大抵、地元の学校を応援するように思う。世界選手権やオリンピックで日本の選手を、ルールを全く知らない競技であってもなんとなく応援するのと同じだ。
 だから私は、北海高校の方をやんわりと応援することにした。
 始めに聞いた時は、互いに二点を持つ状態だった。しかし途中で四点差を付けられ、追いついてはまた離されていく厳しい状況が北海高校に続いた。
 九回の裏、二点差を付けられた北海高校の最後の攻撃は、まさに背水の陣だった。あと一振りバットが空を切れば負ける。
 一つの猶予も無く、一つの油断も許されない中だったが、想いを一つずつ繋いだ北海高校は遂に同点にまで追いついた。それどころかあと一つ何かが起きた時には、そのまま逆転できるチャンスだった。
 しかしその回は同点止まりとなった。
 この時、ダイアモンドの真ん中に一人立つ明豊高校の投手に、私の感情が半分ほど流れ込んでいった。
 炎天の下で土を踏み締め、計り知れないプレッシャーの中を戦い抜いた。あと一つで勝つという優勢から一転し、そのまま押し切られてしまう苦しい状況を見事耐え抜いたのだ。
 結局延長の末、軍配は北海高校に上がった。
 私の心は半分ずつになったままだった。
 全員で手を繋いでゴールとか、そういう冷めたことを言いたいわけではない。
 ただ、夏というのはどうしてこんなに儚いのかと、冷房の効いた車の中で一人勝手に思った、そんな墓参りの日だった。
 今を生きる多くの子供達に、弛まぬ努力を積み重ねた皆に、掛け替えの無い幸せが訪れることを私は願っている。

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