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どんな絵を描きたいか

忘れたくないので書いておく。

2020年の秋 

どんな絵を描きたいのか分からなくなった。
絵を通して何を伝えたいのか、見た人に私の絵から何を受け取って欲しいのか、何が描きたいのか、考えられなくなった。
思うように絵が描けなくなった。

1ヶ月ほど絵を描くことをほぼ辞めて、絵に関する本を読んだりした。
もうこのまま絵を描かなくなるのかもしれない。
そう思いながらも捨てきれず、どうしようもなく怖く、絵を描くことを辞めないために必死に考えた。

自分が毎日描けるもの、頭を使わず描けるもの、と考えて
空のスケッチを始めた。

4ヶ月ほど、毎日空の絵を描いた。
毎日空は変わる、毎日空は違う色になる。
空を描くことは好きだった。
空の絵を描く日々のなかで、「自分を癒す」絵を描きたいと思うようになった。

「絵を評価されたい」
「絵を通して誰かに自分の存在を認めてもらいたい」
「絵が上手くなりたい」
そう努力すればするほど絵に依存して、次第に絵から『得たいもの』が大きくなりすぎていた。

絵に求めるものが大きくて絵が評価されないことで傷ついて、思うように絵が上手くならない自分と他人の成功を比較して、また傷ついて苦しんで、絵を描くたびに自分を削るような日々にいた。
そこに「どんな絵を描きたいのか」という問いが現れて、私の心は粉々になった。

空の絵は、自分を削らずに、絵をなんとか描き続けたくて出した苦肉の策だった。
絵を辞めたくなかった。

絵を描くたびに苦しい。

でも空の絵は何も考えなくともそこにある空を描けばいい。
他のモチーフを描く余裕はない。
考えないことを優先し、自分を癒せる、攻撃的な要素や主張を無くした絵を描いていった。

空を毎日描いて、私の心は少しずつ回復した。
3ヶ月経った頃、やっと電柱や屋根や、人も描けるようになった。
モチーフを増やすことへの疲労、追い付かない自分の技術への不安がなくなった。
心に何度も空の光を通して、
絵に背負わせていた期待と恐怖を落として、自分が描きたいものが見えてきた。

ついに心は元気になった。
美しいもの、誰かに見せたいと思うものをたくさん集め、私はまた絵を描けるようになった。
私はやっとまた、絵を楽しんで描けるようになった。

読んでいただきありがとうございます!! まだまだ描くぞ~!