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いつしか助けを求めることが怖くなった
あの人みたいになれたらな…
こう思ったことのある人は結構多いと思う。
小学生や中学生の時は自分より運動ができたりテストの点数が人に対して悔しさみたいな感情を抱くことがあった。
しかし、それは自分の生活圏の範囲内での話であり、見ず知らずの人間に嫉妬を抱くことはまずなかった。
だが、現代では全く面識のない人たちに憧れや嫉妬の感情を抱くようになった。
SNSやYouTubeでは自分より若くて顔も良くてお金もある人たちが沢山いる。自分でビジネスを成功させて高級車やハイブランド、タワーマンションを所有している人を日常の中で見かける機会が多くなった。
他人の人生と自分の現状を比較することで劣等感を植え付けてしまうことが多くなった。
また、成功談だけでなくても友人がおしゃれなレストランやカフェ、旅行に行っている投稿を見かけることでも劣等感は植え付けられる。
自分は仕事も上手くいってないしパートナーや友達もいないし、なんてうだつの上がらない人生なんだろう…
嫉妬の裏返しは見栄となり、自分も鮮やかな日常をアップしなくてはならないという強迫観念が生まれていた。
そうやって、他人に弱みを見せることがなくなった
「〇〇な人間はダメ/モテない」みたいなレッテルを貼られたくないばかりに、ずっと身体に力を入れて過ごしていた。
しかし、心は疲弊していくばかりで友達も全く出来ない。
自立していてかっこいいと思われたい行動が、逆に孤独感しか生まれなかった。
こんな時代に自分は何をしたらいいんだろうか。
結論、裸になって頭を下げるしかない。
例えば、仕事に困っていたら「仕事下さい」って友達に相談したり、仲良くなりたかったら「〇〇さんとご飯に行きたいです」と素直に言うしかない。
いつしか器用に生きることが正解だと思っていたが、心に刺さる時や感情が昂った時は以外と不器用な方が愛おしいのかもしれない。
感情表現が豊かで上手な人はそのままでも十二分に素晴らしい。また、中々感情を表に出すのが苦手で不器用な人間もそのままでいいと思う。
自分の弱さを認めて他人に頼り、いざとなったら他人を助けられる人間になれれば良いのではないか。
だが、現代では弱みを見せることや助けを求めることに抵抗感が強くなっている気がする。誰かに何か言われるのではないかと言う恐怖や羞恥心が蔓延している。
それなら、私がどんどん弱みを曝け出すしかないのかもしれない。沢山の失敗を重ねた自分だからこそ出来ることだ。
自分と接することで、ありのままで生きてもいいんだと思ってくれるような存在でありたい。
弱みを打ち明ける強さを持ち合わせた人間に私はなりたい。
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