見出し画像

苦痛の中で生きる

最近よく考えることがある。

ストレスフリーな社会は本当に幸せなのか?

近年、日本人の幸福度ランキングや職場環境のストレスが問題視され、ストレスの悪影響についての記事やSNSの投稿をよく見かける。

確かに、長時間労働による睡眠不足やSNSによる他者比較はストレスを増長させる。1日に受容する情報量が多くなりすぎて、触れなくてもいい情報や刺激に晒されることが多くなった。

しかし、ストレスを十把一絡げに悪者扱いにするのは危険だなーと疑問に思うことが増えてきた。

その典型例ですぐに頭に思い浮かんだのが「やりたいことを仕事にする」という考え方だ。

仕事選びの基準として
・ストレスがないか
・好きなことかどうか
・向いているかどうか
という考え方がかなり普及している。

自分の仕事が本当にやりたいことかどうか、をコーチングや職業診断というで測って一致するか見合って仕事を決めるやり方が増えている。

これは完全に私の経験談だが、本当にやりたいことを懸命に探したところで結果には結び付かなかった。

これは、自分には理想的なパートナーがきっとどこかに存在するはずだ、と欠点を排除するような恋人探しをしている状態だ。
例えば、あなたの友人が「私の運命の相手はどこにいるんだろう」と本気で言っていたら何ていうだろうか?多くの方は「そんな人間いないんだから、誰かと付き合ってみろよ」と口に出さずとも心の中で思うだろう。

これが職場選択になると、途端に冷静さを失ってしまう。

恋人探しでも、職場探しでも、理想と出会えば問題やストレスがなく幸せになれるだとう、とついつい考えてしまう。

これが決定的な問題。
「問題がない」ということが大きな問題なのだ。字面だけ見たら矛盾しているように感じるが、これが真理だと痛感している。

新世紀エヴァンゲリオンの碇シンジ君の有名なセリフで
「逃げちゃダメだ」
というものがある。

このセリフに対して「逃げてもいい」というカウンターパンチを振りかざすコンテンツも多く見かける。
このセリフに関しては続きがある。

彼の保護者のような存在である葛城ミサトさんがこのように言っている。
「逃げちゃダメよ、何より自分自身から」

理不尽な環境や悪質な人間関係からは逃げてもいいが、自分自身から逃げてはいけないと作中でしっかり描かれている。

セリフの表層を切り取って「逃げてもいい」というメッセージを届けるのはあまりにも無責任とついつい怒りを覚えてしまう。

自ら茨の道を歩むのか、地雷原を歩かされるのか。

茨の道なら、どこに棘があるか確認することが出来るので対策を打つことが出来る。
しかし、地雷原は目視で確認出来ないのでいつ踏んでしまうか分からない。

自分の人生の主導権を握るかどうかは、不安や苦痛を選択できるかどうかである。

つい楽な選択肢がないか探してしまうが、そんなものは存在しない。
スポーツが好きでプロになりたいと思ったなら、娯楽や安定した道を犠牲にして練習しなければならない。ハードなトレーニングや勉強なしにプロになれるはずがない。

好きなことや得意なことをやるにしても苦痛は必ず付いてくる。なら、自ら選択した方がいい。

苦しみから逃げ続けるなら、苦しみを抱いて死んでいきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?