つんざくように夜が割れる、求めもしない日の光へ押し出される絶望感を、もろもろ略して朝と呼ぶ。


どの瞬間にもファ○クと言いそうな私の1日は、少しでも○ックと言わないために睡眠している時間で埋めたいものだがそうもいかずに今日も活動をしている。日常とは思想が反映されるようでたいして反映はされないことを15になったら覚えておけ。

何がどうでも興味はないが、君の本音は気になるところだ。口につく言葉も作り上げる表情も、当てにはならない。人より多くを剥き出しにする日は特にそうだろう。誰か、君がなぜそこまで怒るのか、情緒を保てないのか、感情的になるのか、触れる者はないのか。

朝の絶望は軽い希死念慮を日中に与え続けながら、ひたすらに心を無にする時を過ごす。過ごして思う、寝たい。そうか、死にたいのではない。寝たいのだ。何もかも忘れ去るまで寝たいのだ。私が自然と目が覚めるまで寝たい。そして寝る刻についても義務感によるのではなく、眠くなったタイミングで寝たい。そんな事を気づくと共にまた、つんざくように夜が割れる。

手を伸ばすもそれは空(くう)であろう。

ワイングラスが乾く。そうしたら寝る。下らない。なんとつまらない。但し、つまらなさに安住する君こそ私という私、飽くようで飽くことを知らずに未だ自分に依り頼む。

ぶち壊すならば全てが良い。この朝は、結局絶望を超えるので。

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