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「プログラミングは誰でもできる」VS「プログラミングは向き不向きがある」

こんにちは。はるまきです。

定期的にTwitterでよく見かけるツイートがあります。それは、

「プログラミング辞めました」
「プログラミング挫折しました」

という旨のツイートです。

ネタ系のものも多いんですが、中にはガチなものも結構あります。こういうツイートにはリプライで、

「辞めないでください!」
「環境を変えてもうちょっと頑張れませんか?」
「人には得意不得意があるので、気付けてよかったと思います」

などなど様々な親切な声が飛んでいます。

みんな親切だな〜と思っていたのですが、一方でとあるベテランエンジニアの方がこの「プログラミング辞めました」「プログラミング挫折しました」に対して厳しめのツイートをして言及していました。

ざっくりその内容を言うと、

「プログラミングほど学習ノウハウや情報が出回っている分野はないです」
「学習環境としてはかなり整備されています」
「この環境で向いていないのであれば、この先ほかに何をしても上手くいかないんじゃないんですか?」

という旨のツイートをされていました。

このようにプログラミング学習・エンジニアの界隈では何度も同じようなやり取りがなされています。そこで私は一度この「プログラミングは誰でもできる」VS「プログラミングは向き不向きがある」という対立軸について明確にしてみたいと思いました。

「プログラミングは誰でもできる」側の主張と「プログラミングは向き不向きがある」側の主張を明確にして、その上で私の意見を述べていきたいと思います。最後にプログラミングを辞めてしまった人や挫折してしまった人に向けてのメッセージも老婆心ながら書かせていただきます。

今回の記事を書くにあたって、現役エンジニアの方やプログラミングスクール経営者の方など、何人か意見や感想をお聞きしました。丁寧にお答えいただき、誠にありがとうございました。

それでは書いていきます。

「プログラミングは誰でもできる」側の主張

このような主張はそもそも誰が言うことが多いのでしょうか。もちろん非エンジニアやプログラミングをやっていない方が言うわけではありません。誰が言うかと言えば、ベテランエンジニアやすでにプログラミングで結果を出している方からの言葉が多いです。

ではどうしてこのような主張をするのでしょうか。それは昔と今を比較して言っている可能性が高いです。プログラミングが一部のマニアにしかやられていなかった時期の昔と学習ノウハウや情報が溢れている今を比較して言っているのではないかと思います。

ホリエモンが言っていたのは、昔はフレームワークを自作しないとWeb開発ができない時代だったと言います。確かに初心者にフレームワークを作れなんて言ったら、今でも途方に暮れると思います。

また無料に等しいProgateなどの学習サイトもなかったですし、よくある学習ロードマップのような体系的な学習手順というのも出回っていませんでした。

そういう背景を見ると、「現在は恵まれている。その現在でプログラミング学習を辞める、挫折するのであれば、それは甘い」ということを言っているのではないかと推測しています。

「プログラミングは向き不向きがある」側の主張

こちらはどんな人が言っているのでしょうか。実際にプログラミングで挫折した人やプログラミングスクール経営者、講師などが多く言っていると感じます。現役エンジニアの人もたまに言います。

そしてなぜこういう主張をするのでしょうか。恐らくですが、「向いている人」と「向いていなかった人」という個人単位での比較をしていると思っています。

実際にプログラミングで挫折した人は自分自身が「向いていなかった人」となりますが、それはできる人、いわゆる「向いている人」と比べての意見だったと思います。またプログラミングスクール経営者、講師なども多く言っている印象ですが、実際に何百人、何千人という生徒さんを見てきて言っていることなので、自ずと「向いている人」と「向いていなかった人」という個人単位での比較をしています。

個人的な意見

私は「プログラミングは向き不向きがある」側の主張をする人間です。

プログラミングスクールに通っていて挫折していく人を何人か見ていました。その人たちは決して努力していないとかではなく、学校や仕事などの本業のスキマ時間を捻出してプログラミングをしていて、少ない時間を最大限に有効活用していて、むしろ人一倍努力しているように見えました。それでもカリキュラムがあまり進まなかったり、途中で辞めてしまったり、挫折していってしまいました。

もちろんツッコミどころとしては「その人たちは学習時間が足りなかったのでは?」とか「PCに向かう仕組みができてなかったのでは?」とかあると思うのですが、逆に時間的制約がある中で無職だった私よりも早いスピードでカリキュラムをこなす方もいました。正直「あの人には敵わない」と思って見ていました。

ある程度その物事におけるセンスや才能というのは多かれ少なかれあると思っています。その意味では運動や芸術と同じだと思っています。練習を全くしなくてもホームランを打てる野球小僧がいるように、何となくの感覚や情報処理能力が高いことでどんどんコーディング・実装をしてしまうプログラミング初心者の方もいます。これは水が合っている、つまり「向いている」と言っていいと思います。

プログラミングを運動や芸術と同列に扱うことは微妙かもしれませんが、結局はインプットがあって、自分なりに噛み砕いて、アウトプットを出すという意味では同じだと思っています。私はこれらを同列に論じられると思っていますが、違和感があると言う方や別の意見がある方がいれば、ぜひコメント欄やTwitterで聞いてみたいです。

プログラミングを挫折、辞めてしまった方へ

もしかすると「自分はできなかった」と落ち込んでいる方もいるかもしれません。

でもプログラミング学習を辞めたことや挫折したことは、全く恥ずかしいことではないですし、たまたま向いてなかっただけだと考えていいと思っています。自分の可能性を広げようと挑戦したこと自体が偉いと思いますし、そんな自分を誇りに思っていいと思います。

学習の中で何かしら得るものはあったと思います。まさにいま論じている「自分の適性の理解」、他には「論理的思考をしてみること」「課題の切り分けをすること」だったりします。これらはプログラミング以外でも役立つことですし、少しでも触れられたことが幸運だったと考えていいと思います。

また学習を継続するなら環境や考え方が大事になってくることが身をもってわかったのではないでしょうか。この辺はプログラミングスクール経営者の方が知恵を絞っていますが、「教えてくれる人をそばに持つ大切さ」「机に向かえる仕組み」「日々のいらない不安をなくすこと」「自己肯定感を上げること」「他人と比較しないこと」「時間を捻出するための断捨離」などなど。この辺はプログラミング学習関係なく、今後集中して何かを習得する際に必要になると思いますので、活かしていける部分かと思います。

こんな風にプログラミングに集中していた日々は間接的に別の活動にも役立っていくので、無駄な経験では全くないです。

いま現役エンジニアでバリバリやられている方でも、「実は一度挫折したけど戻ってきました」という方もいるので、またタイミングがあれば挑戦という手もありますね。

まとめ

いかがだったでしょうか。

Twitterでよく見かける「プログラミング辞めました」のツイートを発端に、「プログラミングは誰でもできる」VS「プログラミングは向き不向きがある」の対立軸についてまとめてみました。

「プログラミングは誰でもできる」側の主張
誰が言うのか:ベテランエンジニア
なぜ言うのか:昔と現在を比較して
「プログラミングは向き不向きがある」側の主張
誰が言うのか:挫折した人、プログラミングスクール経営者など
なぜ言うのか:個人単位で比較して

その上で私は物事にはセンスや才能は付きものだとして、「プログラミングは向き不向きがある」側の主張をしています。

また老婆心ながらプログラミングを挫折、辞めてしまった方へ「誇りに思うべきです」というメッセージを書かせていただきました。

このトピックはとても気になるので、皆さんの意見もお待ちしています!TwitterのリプライやDM、noteのコメント欄で気軽に絡んでもらえれば嬉しいです!

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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