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『自分事にできない人の話』 (創作)


『日本は難民に対して不寛容な国です。』


日本に難民なんていたんだ、ヨーロッパやアフリカにいるイメージだった。パソコンから流れてくる音声に少し驚く。


『日本では難民認定の条件が厳しく、認定が降りないまま日本に居続けると入管収容所に入れられたり、母国への帰国を促されます。』


『入管収容所では体調不良を訴えても病院に連れていってもらえないなど、劣悪な環境が問題視されています。』


『かといって、母国に帰ると命を落とす可能性があるため帰国もできません。』


日本では戦争や紛争が起きていない。だから、難民といわれてもぴんとこない。


もちろん、その人たちには幸せになって正当な権利を持って生きていけるようになってほしいなと漠然と思う。だけど、自分が何かしようとは思えない。フィクションの小説を読んでいるみたいな気持ちになる。


これは、自分が冷たいからなんだろうか。
自分も当事者やその家族になればこの問題の解決に向けて行動を起こすのだろうか。
もう少し、他者に共感できる優しい人間になりたかった。


でも、ほとんどの人は今世界で起きている大きな問題より、明日の小テストだったり、顔にできたふきでものの方がよっぽど関心があるんじゃないんだろうか。


資料として添付されていた動画を見る。


その動画には入管されている人を解放するように訴えるデモ行進をしている人達の映像が映っていた。看板とメガホンを持って大きな声を出しながら、入管収容所の前を練り歩いている。


その人達は人権を剥奪されたような状況に置かれている人達の解放を求めているのに、デモ行進をしているだけで少し不快に感じた。


正しい行動をしているはずなのに、不快に感じる自分に嫌気が指す。


この行進のなかには当事者との関わりがなく、自ら問題意識を持って参加している人はどれだけいるのだろうか。


もし、そのような人がいるなら、自分も他者のために必死叫べるような人間になりたかった。


せめて、入管されている方々が健康で文化的な生活がおくれる日がくることを祈っている。

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