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親と子どもと保育士とでつくるぬくもり 大崎梢 「ふたつめの庭」

「あれ? また読んでるの? 大崎梢」

目ざとく気づいた夫が、そう話しかけてくる。
私が「うん、ちょっと懐かしくなってね」と返すと、ふうん、と意味ありげに相槌を打って去っていった。彼は、私がこの本を最初に読んだとき、娘の受験の付き添いで、待合室にいたにも関わらず、涙が止まらなくなって困ったことを知っている。

手元にある本のタイトルは、「ふたつめの庭」。著者は大崎梢さん。書店員さんから作家になった異色の経歴の持ち主だ。「配達赤ずきん」という作品でデビューしてから、ミステリー作家として活動していらっしゃる。ミステリーと言っても、特に人は死なないし、大きな事件が起きるわけではない。ほっこりと心が温かくなるような、そんな作品を多く手掛けておいでの作家さんだ。

あらすじ

舞台は西鎌倉にある「かえで保育園」。4歳児のもり組を担当する美南先生と、シングルファーザーとの何気ない交流から生まれる恋模様を中心に、保育園に集う子どもたちと、親たちの織り成す物語だ。

保育園に集まる親には、いろんな親がいる。シングルマザー、シングルファーザー、離婚して再婚した者同士・・・。イマドキと言えばイマドキなのだろうが、このあたりは、リアルだ。我が子たちが保育園に通っていたころも、本当にいろんな親がいたものだ。

シングルファーザー・志賀さんの息子、旬太くん

旬太くんは比較的大人しくて、ききわけの良い男の子だ。大人に気を遣っているとも言える。

口さがない大人たちが、シングルファーザーの道を選んだ志賀さんに、陰でいろんなことを言う。定時帰りの部署に異動して、出世の道は外れたのねとか、小さい子は普通母親に引き取られるのに何故とか、とっつきにくそうとか。

そんな志賀さんが、子育てで直面するさまざまな戸惑いを、保育士である美南にポツポツと話すようになる。それは結婚していた当時、妻に子育てを任せていた時には、見えなかった悩みだったろう。おかしなことを言う周りのせいで、余計に悩みは深くなるのかもしれない。

バタバタしていて時間のない中、きちんと子どもに向き合えているのだろうか。子育てをしたことがあれば誰でも、何度も抱いたことがある悩み。子育てに深く関わるようになれば、自信を失うのは当然かもしれない。子育てに、正解などないのだから。

そんな志賀さんの悩みをよそに、旬太くんが園の他の子や先生と関わりながら見せてくれる姿は、実に健やかだ。読んでいるだけで顔がほころぶ。

そんな旬太くんの心が乱されるお話も、展開されるのだが、ここには記さない。志賀さん父子に幸あれと、心から願う。

シングルマザー・マリ子の息子、理斗くん

旬太くんと同じクラスの理斗くんの母、マリ子さんはシングルマザーで、美人。オシャレでよくモテる。物語の中ではあまり良い人に描かれていないけれど、私はこの人にとても共感してしまった。

もちろん私はオシャレでも、美人でも、ましてやモテもしないのだけど、メンタリティがとても近い気がしたのだ。美人特有のメンタリティという違う部分はあるけれど、きっと、私がシングルならこうなるだろうな、と言う感じだ。

そんなマリ子さんの息子、理斗くんが些細な親子喧嘩から、どこへ行ったか分からなくなる。喧嘩の原因が、身につまされる。

ママの望む僕は、旬くんと仲良くする僕だ

そう思い込んだ理斗くんが、一人寂しくトボトボと歩く姿を美南先生が目撃して、追いかける。

無事にマリ子さんの元に帰れますようにと、手にハンカチを握りしめて祈る。おかしい。冷静に考えれば、これは大崎梢さんの紡ぐ物語のはずだ。悲しい着地点になろうはずもない。それだけ私は、マリ子さんの気持ちに同化してしまったということなのだろう。

これを読んだのは、娘の中学受験の付き添いで行った、ある学校の控え室だ。頑張っている娘に思いを馳せながら、彼女は「私の望む娘」になろうと無理をしてないだろうか。ふとそう考えてしまったその時には、もう目の奥が苦くて、熱くなっていた。

試験が終わった娘を、どう出迎えるか考える。私の涙の跡には、緊張もあるし気付かないだろう。微妙な時期だけに、ちょっとでも不穏な空気を感じさせたくはない。

いつも通り、軽く「どうだった?」と聞いて、何か温かい飲み物でも一緒に飲んでから、帰ろう。本当なら一刻も早く戻って、塾の先生のもとで再現答案を作って自己採点、が正しい中学受験生の姿だけれど、少しでも肩の力を抜く瞬間を作らないといけないと、マリ子さんと理斗くんに教えられたような気がしていたから。

親の希望を押し付けることなく、そのままの子どもを丸ごと受け止め続けることの、大切さと難しさを、改めて考えさせられた。

タイトル「ふたつめの庭」に込めた思い

著者の大崎梢さんが、タイトルに込めた思いを想像してみた。

子どもたちと一緒に通った、保育園の園庭を思い出してみる。

急いで帰りたいのに、逆上がりが出来たから見てて!と鉄棒にへばりつき、なかなか出来ずにいたのに、やっと出来て会心の笑みを見せてくれた、春の夕暮れ。

仲良しのお友だちと話し込んで、なかなか帰ろうとしなかった夏祭りの後の、ムッとする雑草の匂い。

お遊戯会で赤いトレーナーがいると言っていたのに、急に茶色のトレーナーがいると話し始めた、11月の黄昏時。

たまに私が先生と話す時には、
鉄棒、頑張って練習したんですよ、とか
お遊戯会、トマトちゃん役をお友だちに譲ってあげたんですよ、とか
いつも、私の見ていない子どもの姿を見つめ、そっと教えてくれた。
担任の保育士さんの温かさを、ページを繰るたび、園庭での様子を脳裏に浮かべるたびに思い出す。

保育園は子どもにとって、ふたつめの家「庭」と言えるんじゃないか。そんな思いが込められているように感じた。

終わりに

ここに書かなかった園児と親のエピソードも、たくさん「ふたつめの庭」の中にはある。保育園で起きるちょっとした「事件」を通じて描かれるのは、さまざまな人たちの絆だ。人と人との間にある温度感を、色んな視点で、目一杯感じられる素敵なお話になっていて、読むたびに心が震えて、温かくなる。

そんな思いを抱きながら、本を閉じた。
読後の余韻にゆったり身をゆだねていると、娘がツカツカとやってきて、こう言う。

「ママ、私、明日ね… スーパーにお菓子買いに行く!」

一体、この子は何歳なのか(高校生です)と急におかしくなって、吹き出してしまった。
身体は大きくなったようでも、鉄棒に四苦八苦していたあの頃と、中身はあまり変わっていないのかもしれない。


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