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ゼンマイの煮物は記憶のなかに

母の作ったゼンマイの煮物が好きになったのは、目の前でソファにゴロンと寝転ぶ邪魔っけな娘が生まれた頃だった。

小さい頃の母の味は、手伝わされた記憶とセット。肉じゃが、おでん、餃子。そういえばおでんにジャガイモを入れるかどうかで夫と口論になったことがある。母のおでんには巨大な丸ごとのジャガイモがゴロンゴロン。「おでんといえば丸ごとジャガイモ」と思っていたわたし。ジャガイモを包丁でむき、芽をとる。おでんのスープに沈める瞬間は、「おいしくなあれ」と唱えるとき。

あれがないおでんなど、おでんではない。

餃子が食卓に並ぶ日は、いつも姉とわたしで包んだ。妙に大きさがばらついた野菜多めの餃子は、我が家の定番。結婚した後は、「肉を増やして欲しい」という注文を受けて材料の配合を変えた。元のレシピで作れば良いのだが、わたしの郷愁に家族を付き合わせるのもどうか。いまだにレシピは元に戻せない。

ゼンマイの煮物には、苦い思いが付きまとう。
乾燥させて叔母が送ってくれるゼンマイは、故郷の山からの贈り物。母は煮物にして正月のおせちに入れていた。

これが、たいそう美味しい。

毎年おせちに入っていた記憶はある。大晦日になると大きな鍋で水に浸かるゼンマイが、視界の片隅に。子どものわたしは好きだった栗きんとんのさつまいもを、せっせと裏ごししていた。どうやってあの状態になったのか、あれからゼンマイがどうなるのかは教えてもらえなかった。

年始に実家を訪れるたび、伊達巻でも、栗きんとんでも、黒豆でもなくゼンマイの煮物ばかり食べるわたしを、母は嬉しそうに見ていた。子どもを連れて帰るとき、いつも持たせてくれた。

正月に食べるゼンマイの煮物に異変が起きたのは娘が4,5歳のころ。あれ?と思ったが言えなかった。徐々に身体が動かなくなる予兆だったのだと、今ならわかる。

乾燥ゼンマイを戻すのにかかる気の遠くなるような手間を知ったのは、母がいなくなってから。忙しく働き詰めだった母の正月支度。忙しい忙しいと、手抜きばかりしている自分が恥ずかしくなる。

今年こそゼンマイの煮物、やってみなよ。
どこからか声が聞こえたような気がした。

※このnoteはYAMATOさん著『月とクレープ。』を読んで書いたものです。


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