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竹内結子の誕生日に、好きな作品を愛でる 『サイドカーに犬』

忌野清志郎と、コーラ。

ヨーコさんが、薫に教えてくれたものは、マトモな親が少し眉をひそめそうなものばかりだ。そう。ザ・ドリフターズのコントのように。

『サイドカーに犬』。大好きな映画の一つである。

あらすじ

母が家出した10歳の夏、突然家にやってきたヨーコさん(竹内結子さん)と過ごすことになった、主人公・薫(松本花奈さん)と弟の透。

薫にとって、忘れられない思い出の詰まった夏が始まる。

ダメオヤジ・誠(古田新太さん)

のっけから、ダメオヤジ感全開の誠(古田新太さん)。突然会社を辞めて、中古車販売業を始めたことで、妻(鈴木砂羽さん)とのけんかが増え、ある日突然妻は家出してしまう。

娘の薫の目線から見れば、突然などではなく前兆があったのだ。やたらと念入りに家を掃除し、父の仕事に対する愚痴を娘にこぼし・・・。

誠が、妻を追いかけたのかどうかは全く描かれていないのでわからない。しかし、少なくとも誠の態度から追いかけて何とかしようとした感じは、みじんも感じられない。

それどころか、「ヨーコさん」(竹内結子さん)を呼んで家で子供の世話と食事の面倒を見させるのだ。

ヨーコさんが何者であるかは、はっきりとは語られない。ただ、ヨーコさんがなぜか、誠にべた惚れであることと、誠の態度からしてそういう関係の二人なのだな、ということは想像がつく。

誠はもう、どこから突っ込んだらいいのやらと思うほどのダメオヤジである。『五右衛門ロックⅢ』の、あのめちゃくちゃカッコいい五右衛門を演じたのと、本当に同一人物なのだろうか。

ヨーコ(竹内結子さん)と薫(松本花奈さん)

ヨーコさんは、ドイツ製のカッコいい自転車に乗っている。カマキリが鎌をもたげたような形のハンドルのやつだ。

サドルだけを盗まれたことがあると語るヨーコさんに、薫はそのあとどうやって帰ったのかと訊ねる。ヨーコさんは事も無げに「隣の自転車のサドルを盗んで取り付けて帰った」という。

薫は言う。そのサドルを盗まれた人はどうやって帰ったのだろう、と。
そりゃそうだ。これじゃサドル泥棒の無限ループになってしまう。いたってまともな子供の疑問だ。

ヨーコさんは「そういうことが気になるんだ」と感心した風だ。
ヨーコさんは、奔放な人なのである。ある面では。

しかし薫もたいがいだな、と思うのは母がいなくなっているのにさして驚くでも、泣き叫ぶでもなく淡々としているところである。そして、薫を演じる松本花奈さんがすごい。この淡々とした10歳の子供を、きちんと演じ切っている。

弟役の谷山毅さんは、とても子供らしいお芝居を見せてくれている。いかにも子役、という感じの、大人から見た子供らしい子供の姿だ。

もし、松本花奈さんがこの弟との対比のために、淡々としたお芝居に徹しているのだとしたら・・・彼女が高校生映画監督として、のちに大きな話題を呼ぶことにも納得がいく。10歳にしてこれほどの稀有な才能の持ち主であったなら、演じる側ではなく俯瞰で作品を見られる、撮る側に回るのも何だか、わかる気がする。

話をヨーコさんに戻そう。

ヨーコさんは、煙草を吸う。煙草を吸いながら、太宰の「ヴィヨンの妻」とか読んじゃう。なんだか、よくわからない人だ。おまけに「清志郎はいいよ~」と薫に突然RCサクセションを勧めだす。

歌いだすのは『いい事ばかりはありゃしない』。
まんま、誠とヨーコさんのことを歌ったような曲である。

奔放、というか興味のままに生きているのだなと思っていると、不意に古風な女っぽさが顔を出す。

特に、誠に対してはそうだ。誠は女性だけではなくすべてに執着がないタイプで、思い付きで行動するところがある。しかし、男のプライドだけはしっかり持っている。そんなダサくてダメな男だけれど、ヨーコさんは惚れた弱みなのか、誠に対しては本当に女っぽいのだ。

誠との仲がうまくいかないことによるストレスの反動なのか、自分に似たところを薫に見ているのか、ヨーコさんは薫をよく誘い出す。買い物、夜の散歩、プチ家出。これは、ヨーコさんと薫のロードムービー。そんな気すらしてくる。

印象的なシーン

私が一番好きなのは、誠にそれとなく「もう晩飯いいや」と言われたことに傷ついたヨーコさんが、薫と二人でパックマンのゲーム機の上で、フルーツを食べるシーンである。

薫と話す中で、「薫はハードボイルドだね」と言った後、徐々に目に涙を貯めて、ヨーコさんが泣きだすのだ。声を上げることもなく。

このシーン、薫は食べているグレープフルーツの汁が飛んで目に入ったのかと、あさっての方向に心配をする。それはそうだろう。子供にとっては意味が分からなかったに違いない。

薫にハードボイルドな人生を強いている要素の中に、自分が入ってしまっていることに気づいての涙なのか、薫に感情移入してしまったがゆえの涙なのか。どちらかはわからないが、なんとなく「薫に感情移入した」というほうが、私の中ではしっくりくる。

きっと、ヨーコさんの人生もハードボイルドだったんじゃないだろうか。

ヨーコ役は「竹内結子の新境地」?

奔放でケンカも強いというのは、『ランチの女王』の麦田なつみ役で既視感があるし、周りをよく見ていて愛情を注ぐ対象に繊細な目を向けるというのは、『白い影』の倫子役で既視感がある。

ヨーコ役は、お芝居の技術的な面から見れば、「竹内結子の表現技術の集大成」(あくまで2007年時点で)に見えて、私の目から見て特に新境地には見えなかった。

だがヒロインとしてみんなから好かれ、感情移入される役、という文脈から外れるという意味では、確かに新境地なのかもしれない。

私がヨーコさんを愛しているのは、それまで見てきた、たくさんの「演じている竹内結子」が一度に堪能できる役だからだ。もちろん物語そのものも普通に素敵だが、彼女の繊細なお芝居が、決して画一的ではない「ヨーコ」という人物を、立体的に浮かび上がらせている。そんな風に感じられてならない。

ヨーコさんのその後を少しだけ妄想

「ヴィヨンの妻」を読んでいたヨーコさんのこと。誠とは別れ、きちんと自立した人生を送ったのではないだろうか。

折に触れ、薫のことは気にかけただろうが、母親に連れられて山形に行ってしまったあとでは、親戚でも何でもない自分が手を出せることなど何もない、と思っていたに違いない。

だけどヨーコさんは、愛情深い人だ。きっと彼女なりに、離れたところから薫を思っていたことだろう。

願わくば、誠のようなダメ男ではなくて、ちゃんとした男と家庭を持っていてもらいたいものだ。

終わりに

大人になった20年後の薫(ミムラさん)が、何もかもあの時のヨーコさんと自分が違うことに心の中で苦笑しつつ、一つだけ同じだと感じていることがある。毎日、自転車に乗っていることだ。

20年後の薫が、自転車にまたがってふくらはぎを触る。

その感触は、かつて、2人で自転車の練習をしているときに「私のふくらはぎ、硬いよ~」と言って薫に触らせたのヨーコさんのふくらはぎと、同じだったに違いない。

自分のふくらはぎの感触を確かめ、「私も毎日、乗ってるよ」そうつぶやいてにっこり微笑む、20年後の薫。

観おわった後、心を爽やかな風が吹き抜けていく気がする。そんなこの映画が、私は好きだ。

竹内結子さんがこの世に生まれてきてくれた今日という日に、感謝しつつ、このnoteを竹内結子さんに捧ぐ。

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