見出し画像

『マドモアゼル・モーツァルト』番外編 役者・明日海りおはココがスゴい


私は、「明日海りお」という役者について、なにも分かっていなかった。

10月21日、東京建物ブリリアホールの舞台で、35年10か月の生涯を生ききったモーツァルトを3度目に観た時、真っ先にそう思った。明日海りおさんの底知れなさを目の当たりにしてしまった私は、3階席で自分の理解の浅さに、打ちひしがれていた。

以前、元宝塚歌劇団花組トップスターの明日海りおさんについて、書いたnoteがある。

梅芸版『ポーの一族』については、DVDで観た。これは御園座で行われた大千秋楽を収録したもので、いわば公演当時の「集大成」である。宝塚専門チャンネルであるタカラヅカ・スカイ・ステージで放送される番組や、発売されているBlu-Ray/DVDについても、ほとんどが千秋楽だ。基本的に私が観ているのは、「集大成」ばかりだったのだ。

だが、「集大成」ばかり観ていても、明日海りおさんの凄みは理解できないことを、今回いやというほど思い知らされたのである。

『マドモアゼル・モーツァルト』の作品自体の話は、千秋楽が終わるまでしないと決めている。だが今日はどうしても先に触れておきたいと思う。明日海りおさんとはどんな役者なのか、私が感じたことを先に綴っておかないと、作品に対する感想がブレてしまうからだ。

明日海さんが、私の目からどんな風に見えているのか、少しでも伝わってくれたら嬉しい。

明日海りおさんのココが凄いその1:芝居の進化ぶり

私が初めて明日海りおさんのお芝居を生で拝見したのは、10月11日だった。音楽座ミュージカル『マドモアゼル・モーツァルト』を東宝主催で再演する舞台の、2公演目となる。

日比谷で映画を観てから池袋に移動して、会場となる東京建物ブリリアホールに直行した。グッズを買っている時間的余裕はなく、お昼ご飯も適当に済ませ、2階席で初めて観たのだった。素晴らしかった。光り輝いていた。

・・・と、思ったのだ。この時は。

その後、いわゆる「追いチケ」(各チケットサービスなどに出ているリセールチケットを購入し、当初観に行く予定外の公演を観に行くこと)し、当初予定していた21日の公演を観に行く前に、今度は1階席で観た。

そして迎えた21日夜公演。悪名高き東京建物ブリリアホールの3階席(音響も席の見え方も大変に評判が悪い)で、3回目に観た明日海さんが、まさに圧巻だったのである。

11日に観た時から無邪気で可愛くて、自由なモーツァルトを板の上で魅せてくれてはいたのだ。その点では、11日に初めて観た時と何ら変わらない。

しかし、モーツァルトへの没入ぶりが明らかに増したというか、なんというか。明日海さんがモーツァルトを演じているというより、まるでモーツァルトが明日海さんの身体を借りて、そこに現れたかのような錯覚を私は覚えてしまったのだ。

時間をあけて複数回公演に行くことはあっても、これほど何回も同じ公演に足を運ぶことは、ほとんどないので単純に比較は出来ない。しかし、これほど短期間にここまで役の解像度を上げてくる役者を、私は他に知らない。

今日の公演でもまた、明日海さんはさらなる進化を遂げているに違いない。

明日海りおさんのココが凄いその2:身体能力

Blu-Ray/DVDが出るという話は聞かないので、言ってしまってもいいのだが期待を込めて言わないでおく。

本作のモーツァルトは、かなり踊る。

基本的に、モーツァルトは舞台に出ずっぱりで、歌って、踊って、ドタバタ動いて、まあ大変に忙しいのである。

そして、あんな細いのに体幹どうなってんの??という瞬間がたびたび訪れる。

まだ公演を観てない方もおられるだろうから、この辺にしておこう。ちゃんと千秋楽後に、別なnoteで詳しく書くことにする。

明日海りおさんのココが凄いその3:変幻自在の声

綺麗な高音が出るようになっていることに、驚いた。

「エリザベート・ガラ・コンサート」のスペシャルバージョンでシシィを演じた時は、ちょっと辛そうに出していた高い音。美しく太く出るようになっていた。しかも、最初に観た時より2回目、2回目に観た時より3回目のほうが、明らかに良くなっている。

宝塚歌劇団で男役をやっておられたときは、基本的に低い声を出す訓練をするだろうから、役の歌声が低音域に集中していたのはわかる。

作品中に、「LOVE」という曲が出てくるのだけれど、エリーザ(女性)としての心情を美しいソプラノで歌い上げたかと思ったら、曲の流れのまま、その直後にモーツァルトの心情を低音で歌い上げるのだ。

この歌声の高低は、モーツァルトの心の動きとも連動している。そしてもう一つ、明日海さんは少女エリーザの声まで使い分けている。

シロウト考えなので分からないけれど、なかなか、ハードルの高い話のように思えるのだ。

実際、どうなのだろう。

明日海りおさんのココが凄いその4:特殊な役への理解力

本作のモーツァルトは、生物学的には一応女性だ。

音楽の才能を見いだされた父レオポルドに、男として育てられ作曲の道へと向かう。女性が作曲家として生きていくには「ガラスの天井」があった時代ゆえの苦肉の策。さまざまな出会いによって引き起こされる問題と向き合い、葛藤しながらモーツァルトは音楽家としての人生をまっとうする・・・

というのが大まかなストーリーなのだが、これだけ読むと、女性が男装していて、女性として生きられないことに苦しんでいる、という風にも読める。

だがこの作品におけるモーツァルトは、違う。

そもそも、自分が男か女かということに対して頓着が無いというか、あまり気にしていないのである。作曲を続けるためには男でなくてはいけないから、世間的には男の格好をしているという感じだ。

途中、「女性として世の中を見てみたい」というセリフを放つところがある。だがこれすらも、単なるモーツァルト流の好奇心から出た言葉にすぎないのではないかと思えてしまう。今まで男として世の中を見てきたから、今度は女ね、と。女として振舞う中で生まれてくる感情はあれど、結局男でも女でもないモーツァルトという生き方を選ぶ、「彼」でも「彼女」でもない、「モーツァルト」として板の上に存在している。

男としての感情と女としての感情を行き来しつつも、社会的存在としてはどちらにも当てはまらないモーツァルトを、明日海りおさんは実に軽やかに、絶妙に演じている。

よほど、心が柔軟なのだろう。

※本作におけるジェンダーの扱いについては、別途千秋楽後に書くnoteに詳細を書く予定。モーツァルトの内面はもっともっと細かく揺れ動いている。

終わりに

以前、この『マドモアゼル・モーツァルト』という作品で、明日海りおさんがモーツァルト/エリーザ役を演じられる、しかも妻のコンスタンツェ役は宝塚歌劇団時代の「4人目の嫁」華優希さんだと報じられたとき、ネット上のコメントには「宝塚の延長を見せられているようで残念」だとか、「宝塚の外に出たのだから、男役みたいな役はもう見たくない」などといったものがあふれた。

もちろん、お二人の共演に期待する声もあったけれど、事実だけみたらそう言われてしまっても仕方ない面があったのだ。二人が短い間とはいえ宝塚歌劇団でコンビを組んでいたことは確かだし、トップスターといえども、退団後は女性役を演じるのが普通だろう。だからこのコンビが「夫婦」という関係性で舞台に立つことは、通常ありえない。

だが、本作でのモーツァルトとコンスタンツェは、宝塚的なパートナーシップで結ばれた相手ではない。シンプルに一緒にいるべき人だ。性別は関係ない。断じて宝塚の延長などではない。明日海りおさんと華優希さんは、お芝居と歌でちゃんとそれを表現してくれていた。

退団後は本来の生物学上の性別である女性を演じるのが当然、というバイアスを軽々と飛び越えてみせた明日海りおさんに、心からの拍手を贈りたい。

と、ここで言ったところで、チケットはすでに売り切れなので手に入らない。円盤化や配信については、まったく話が出ないのでそちらも怪しい。

『マドモアゼル・モーツァルト』という作品自体がとても魅力的ではあるのだが、カンパニーの皆さんお一人お一人が持つ魅力が、作品の魅力を増幅している。こんな素晴らしい作品に出会えて私はとても幸せなのだが、残念ながら、公演チケットをお持ちでない方に幸せを分け合う手段が今のところ、無い。

Blu-ray/DVDまたはCDが発売されることを祈っている。


この記事が参加している募集

おすすめミュージカル

おすすめミュージカル

いただいたサポートは、わたしの好きなものたちを応援するために使わせていただきます。時に、直接ではなく好きなものたちを支える人に寄付することがあります。どうかご了承ください。