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わたし達には “今日と同じ明日は来ない” からこそ

戦争や災害が起こるたびに
神や仏が本当に居たら、
「立場が弱い子ども達をここまで苦しめるだろうか?」
と思います。

唐突ですが、タイでは「生まれた曜日ごとの守護仏陀の姿やその特徴、またシンボルカラー」がある、とされています。

その中に
”誰も話を聞いてくれないから、森に行って動物に話しをする仏陀”
があります。

その像を見た時、ただ「へぇ?」と思っただけでした。


話しを地震に戻しますと…
2011年にも大きな地震と原発事故など大災害がありました。

不安な日々を過ごしました。
「大切な人たちを失うのではないか?」
と思い脅えました。

恐ろしくて押しつぶされそうになっていました。

そして、地震後、落ち着いてから「お話し会」に行きました。
長く、気が遠くなるほど長く
「人を助ける活動」
をしている方のお話し会です。

その代表の方を見て、

なぜ、多くの人が耳を傾けないのに続けられるのだろう
なぜ、この人の情熱は消えないのだろう
なぜ、無駄に非難され続けているのにイヤになってしまわないのだろう

そう思いながら、聞いていました。

最後に「質問タイム」があり、
参加者がその方に聞きました

「助けたいと思っても、相手にその気がないときはどうすればいいのですか?出来ることはありませんか?」

どうやら、親御さんの話しをされているようでした。

その時の返答は、生涯忘れません。

「われわれには『助かる気がない人たち』を助ける力はない。
残念だけど、それは受け入れるしかない。
でも、その人たちに「感謝と愛」は、伝えることが出来る。
話す機会があるたびに、これまでの感謝と愛を伝えた方が良い。
『災害や他の何かにその機会を奪われる”その日”』
まで。
いつか ”その日” はやってくるから」

と。。。

助けたくても「動かない人」を助けることはできない。
でも、
愛と感謝を伝えることは出来る。

こちらの話しを聞いてくれなくても
「何かを伝える」
ことは出来る

今、自分に出来ることを見つけること
今、出来ることがあるなら、行動すること

聞いてくれる人がいなくても、話すことを止めない
”水曜日の夜の仏陀”
のように

諦めない心で信じた道を生きていくために

宗教とは、自分が救われるためではなく
「ひとを救う為」にあるんだな
と時々思います

愛や感謝をタイムリーに伝えていますか?

愛している、とか
ありがとう、とか

もし万が一、
「プライドが邪魔していえない」
と思っているなら、

そんなクXの
「役にも立たないプライド」
は捨てましょう

愛している人には、愛している、と
自分に関わってくれている人たちには、その感謝を

今日も明日も伝えませう

同じに見えても2度とは来ない今日とは違う明日のために

「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」
です。

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